2010年4月28日

雨上がり

  激しい雨が、やっと上がったので、近くのスーパーまで夕食の食材を買い出かけた。田んぼも、道路も水浸し。途中の恋瀬川は、水かさが増して濁った水がすごい勢いで流れている。そこに、西の空の雲が切れて、夕日が差し込んだ。低い角度の光が道路や田んぼの水面に反射して、辺り一面が白く輝いた。その中を、僕の車が切り裂くように走る。このまま進むと、どこか知らない世界へ行けそうな不思議な感覚。なぜか、子どもの頃を思い出した。


2010年4月26日

ウワミズザクラが咲いた

昨日、今日と快晴の気持ちの良い天気だった。この二日間で、植物たちは大急ぎで新葉の芽を膨らませたり花を咲かせて、これまでの遅れを取り戻そうとしているかのようだ。ヤマザクラの開花を追うかのようにウワミズザクラの花が咲き出した。この花は、普通の桜のような華麗さは無いが、素朴な白い房状の花とその後の赤い果実が好ましい。山小屋の周りには、この大木が何本もあって、毎年今頃になると花盛りになる。そして、初秋の頃に果実が熟すると、たくさんのヒヨドリがやって来て、大騒ぎしながらついばむ。ご馳走になったお礼にと、庭に種の入ったお土産(糞)を落としていくものだから、いたるところにウワミズザクラの幼木が芽生えている。その何本かは、もう3メートルにも育った。
  それから、4月16日のブログの花は、アメリカザイフリボクいわゆるジューンベリーです。さすがは、Kさん!メールで正解を伝えてきました。賞品として、初夏に果実が実ったらさしあげます。

2010年4月23日

カキドオシ

この写真は、一昨日の水曜日(21日)に写したものであるが、 ブログにアップするのが今日になってしまった。この間、自宅に戻ったり仕事があったりして、ちょっと忙しかったのだ。水曜日の朝は、暖かくて、久しぶりに野外で朝食をとった。食事をしていると、時々、甘い香りが流れてくる。何だろうかと、あたりを見回して分かった。カキドオシである。庭のいたるところに、カキドオシの青紫色の花が広がって咲いている。もっとよく見ようとして近づいたら、今度は靴で踏んだ茎や葉から、先ほどとは違う独特の香りが立ち上った。そういえば、益子のカフェで、ハーブティを注文したら、このカキドオシの茶が出てきた。なかなか美味しかった。今度、僕も作ってみようと思う。


  先日、流山の自宅に帰ったとき、駅に向かう小道で、小学生の女の子とすれ違った。彼女が、僕の顔をじっと見て、「もしかして、チケットをくれた人?」と言うのだ。そこで、僕も思い出した。ずっと以前、いつも通勤の途中で、明らかに一年生とわかるランドセルが歩いているような2人の子供とすれちがった。いつだったか、彼らが通学途中で昆虫を捕まえて楽しそうに遊んでいたので、丁度そのとき持っていた自然博物館のチケットを配ったことがある。今回、話しかけて来たのは、そのときの女の子だったである。「博物館は楽しかったです。ずうっと会わなかったけどどうしたんですか?私は6年生になりました。」という。あぁ~!あれから6年間が過ぎたのだ。あの時の小さな女の子が、こんな大きな子供になったのだ。僕は、この間に、会社を辞めたので駅から電車に乗ることはめったに無くなったこと、アゴひげを伸ばしたこと、それから筑波山の麓で暮らすことが多くなったので、流山にはあまり戻らないことなど、この6年間の僕の生活の変化を丁寧に説明した。

2010年4月17日

今頃になって雪が

 何ていうことだ。昨日、流山の自宅に帰る途中、車のタイヤを冬から夏タイヤに変えたとたん、夜になって雪が降った。今朝起きたら、フロントガラスに2cmぐらい積もっていた。困ったというより、驚いた。ヤマザクラの花も、すでに散り始めた今頃になって雪である。せっかく根付いて伸び始めた庭のバジルも黒く萎れてしまった。やっと、芽を出したばかりのジャガイモは大丈夫だろうか?

2010年4月16日

この花は?この山は?



朝の5時前、ピーに起こされ、ドアを開けたら冷たい空気が部屋に流れ込んできた。そのはずである。もう、4月の半ばで、桜も散り始めたというのに、筑波山の山頂付近は、薄っすらと雪化粧している。昨夜、降ったようだ。この写真をどこで写したか言わなければ、長野か東北だと思う人は多いだろう。判らないといえば、この庭に咲き始めた花が何だか言える人は、かなり植物に詳しい。答えは、後ほどに。

2010年4月12日

美しい土地を探している方へ

 チョッと気がかりなことが起きた。今朝、集落の人がやってきて、僕の小屋のある上の土地を売りたいが、今のところ「変な用途の話」しかこないので困っているという。僕に、何とか、この集落の生活と風景を壊さないような使い方をしてくれる人を探して欲しいというのだ。そういう人なら条件は柔軟に考えるとも言っていた。
 この土地というのは、どこでも美しい八郷の中でも有数の景観の良いところで、訪れた人は誰でも溜め息をついてしまう。周囲が雑木林と檜林に囲まれた高台で八郷盆地を囲む山並が一望出来る。以前は牧草地だったが現在は一面の草原。実に気持ちの良いところである。公道にも接しているし、インフラも近くまで来ているから、住宅を建ても大丈夫だ。八郷でも南部だから、つくば市や石岡まで近い。強いて難点をあげれば、入るのに僕の小屋の脇を通って少し坂道を登る必要があることと面積がかなり広いことである。でも、分筆をするというから、これは問題にならないかもしれない。

 美しい里山の自然の中で静かに暮らしたい方や、そこで果実園や農作物を育てたい方で、土地を探している方は、八郷の風景を守るためにも(そして、僕の静かな山小屋生活を守るためにも)、是非、現地を見に来て検討して欲しい。関心のある方は、僕のプロフィールにあるメール欄で連絡を!
(何だか、田舎暮らし専門の不動産屋になった気分だな〜)

2010年4月11日

パン焼きを学ぶ


 昨日から、また新たな挑戦が始まった。ずっと以前からやってみたかったパン作りを教えてもらうことになったのだ。なにしろ八郷では美味いパンが食べられないのが数少ない不満の一つであった。それでは自分で焼こうと、これまでにも石窯を作ったり本で勉強したりして挑戦したのだか、満足なものは一つも出来なかった。独習には限界があると諦めかけていたところ、石窯ピザのYさんに「男のパン工房」をやっているKさんを紹介していたただいたのだ。僕は、はじめから菓子パンやケーキには関心が無い。ヨーロッパの小麦の香りがする僅かに酸味がきいたハードな食事パンが食べたいのだ。会の名前に期待して参加したところ、はたしてその通りだった。初回の僕は、ピザとエピを作るのが課題だったが、先輩たちは自由課題で、多くの人が自然発酵の老麺やルヴァン種を使った本格的なフランスパンを焼いているではないか。それも多くの人が見事なパンを焼いている。窯から出すとパチパチと皮が「歌をうたっている」。窯ノビも見事である。それもそのはずで、指導しているK先生は、たいへんなキャリアの持ち主である。プロ職人でなければ絶対に分からないような、細かな技術や知識も惜しげなく丁寧に教えてくれる。つくづく、僕は「人」との出会いに恵まれていることを感じた。
 帰りに、K先生が焼いたフランス食パンを頂いてきたが、開けておいた袋からこうばしい香りが車内中にあふれ、とうとう我慢できなくなって途中の赤信号でつまみ食いしたのが悪かった。八郷に戻るまでの間に全部食べてしまった。香ばしい小麦の香りとほのかな甘み、モチッとした食感、そして噛み締めたときの小麦の風味と旨みが、実に感動ものだった。道路を走りながら、自分もいつかこのようなパンを山小屋で焼いてやると決意した。(写真は先生の焼いたパンです)

2010年4月8日

ゴミ出しから桜を尋ねる旅へ



 今年は、エドヒガン系の枝垂桜も、ソメイヨシノも、ヤマザクラも同時に花が咲いている。溜まった不燃ゴミを焼却場に運んだ帰り、あまりに気持ち良い陽気なので筑波山の東側を回ろうと思いついた。途中、南面の小野に差し掛かったとき向上庵の桜を思い出した。寺は常緑樹が鬱蒼と茂る谷間の奥にあって、長い年月に晒されたようなお堂と苔生した庭や石仏が実に美しい。京都や奈良の尼寺の雰囲気である。シダレザクラの古木は、斜面の上にすくっと立って、優しいお顔の仏様を前に、深い緑の木々を背景にして、静かに咲かせていた。
 さらに、風返峠を越えて八郷にもどる途中、ふと杉線香を頼まれていたことを思い出し、湯袋峠にある「駒村清明堂」に寄ることにした。そういえば、ここにも大きなヤマザクラがあるはずだ。線香の注文もしないままで、母屋の裏庭にある桜を見にいった。形のよいヤマザクラの巨木が、脇を水が流れる大きな石の間から生えている。赤みがかった花弁が、赤茶色の新葉とあいまって華やかな印象を受ける。今でも現役で仕事をしている本物の水車を見せてもらったり、この家で生まれ育った婦人から昔の八郷の生活や風景をいろいろ聞いた。
 はじめは、ゴミ出しから始まった散策も、帰りは桜を尋ねる優雅な旅になった。めでたし、めでたし。(写真をクリックすると大きくなります)

2010年4月7日

ピーの狩猟

ピーのやつが庭で熱心に何かをしていると思ったら、カツラの木の根元でヒミズを捕まえて遊んでいる。遊んでいるのは、ピーの方だけで、ヒミズにとっては命がけである。わざと逃がしては、飛び掛って前足で捕らえてまた放す。その繰り返しである。とうとう死んでしまったようだ。動かない。すると、今度は、口でくわえて空中に放り投げだした。生き返って逃げ出すのを待っているようだ。先日は、可愛いカヤネズミを捕まえて遊んでいた。これらの行為は、人間から見るとひどく「残酷な」仕業に見えるが、そもそも猫は肉食の小さな猛獣なのだから、ただ本能に従っているまでのことである。「残忍」などと言われては迷惑だろう。

2010年4月6日

嬉しい季節になった


昨夜の雨も上がって、久しぶりに春の日差しが注いだ。暖かな朝、僕がデッキで朝食をとっている間、ピーはドアの影で寝そべっている。そこが涼しいのだろう。こんなことは初めてだ。3月末に戻って来たサシバは、庭の上空を飛び回っているし、西の針葉樹のテッペンでは、イカルが大声で歌っている。嬉しい季節になった。

2010年4月4日

平出隆の「鳥を探しに」を見つけた

 先日、ある本を求めてつくば市の書店に行ったとき、たいへんな本を見つけてしまった。その本とは、以前の投稿で平出隆著の「猫の客」のことを「こういう小説が好きだ」と書いたが、同じ著者による「鳥を探しに」(双葉社2010・1)である。何と600ページもあって、しかも小さな活字の2段組である。ものすごい長さだ。値段も4千円近くする。しかし、著者の祖父が描いたという植物とキタタキの表紙の絵が、僕を惹きつけてしまった。さらに、極小さな金文字で「孤独な自然観察者にして翻訳者であった男の遺画集と遺品の中から大いなる誘いの声を聞き取りながら育った私は、いつからか、多くの《祖父たち》と出会う探索の旅程にあることに気づく。絶滅したとされる幻の鳥を求めるように、・・・・ 死者たちの語りと連携しながら、数々の時空の断層を踏破する類ない手法・・・」とあるではないか。どうしても読みたくなって、当初の目的の本などさておいて買い求めた。
それから、時間を見つけては、少しずつ読んでいる。やはり僕の直感には狂いは無かった。過去の祖父の手記や翻訳、絵画と現在の著者の状況を交互に配した構成で、詩のような散文のような文章が淡々と続いている。まだ、100ページも読んでいないので良くわからないが、小説によって事実と虚構、現実と歴史、現在と過去のズレを確認し、和解させようとする大胆な試みのように思える。この作業は、そう簡単ではないから、大部にならざるをえない。たいへんなボリュームと緻密な中身なので、「ページを抑えながら」読まなくても、当分の間は楽しめそうだ。

2010年4月1日

枝垂桜が咲いた

今年も、山小屋の枝垂桜が可愛い花を咲かせた。この花が初めて咲いたのは2年前の春で、僕の退職を祝ってくれたかのようで、すごく嬉しかった。この桜が、僕のところに来た経緯も、何だか夢のような出来事の結果で、不思議な「縁」があったとしか思えない。以前、何かにその時の出会いを書いたのが残っていたので、いつか投稿しよう。
僕が、この枝垂桜と出会ってから10年が過ぎた。この間にいろいろな事があった。・・・八郷の地に受け入れてもらったこと、山小屋を建て庭にたくさんの樹木を植えたこと、定年退職そして自然保護団体への再就職 ・・・・。また、懐かしい思い出も沢山有る。・・・幼木をリックに入れて持ち帰り流山の狭い庭に植えたこと、庭でどんどん大きく育ち家内から顰蹙をかったこと、暴風雨の中息子に八郷まで運んでもらい移植したこと、・・・・。
この枝垂桜は、これらの時の移ろいを、静かに見守っていた。そして、この桜の親木が、そうであるように、これから何百年も、この山裾の高台から、じっと八郷の地を見守り続けるだろう。