2011年10月27日

コマユミ

ツリバナの隣のコマユミが、真っ赤な実をたくさんつけた。コマユミとツリバナは、親戚同士なので、一番目立つ季節が秋なのもよく似ている。でも、ツリバナの果実は、熟すると5裂して橙赤色の種子をぶら下げるのに対して、コマユミは、1、2個しか種子をつけないから、ずっと控え目である。その代わり、たくさんの果実をつけるから、全体では華やかな印象を受ける。枝に板状の翼があれば、ニシキギという大層な名前で呼ばれて庭園などに植えられるのだが、翼(欲!)が無いために、野山の林縁でひっそりと生きている。

2011年10月25日

八郷のニホンザル

拾ったムササビを剥製にする件で、Kさん宅を訪れた。その際、おばあちゃんから、つい最近(といっても昭和の初め)まで、野生のニホンザルが八郷にも生息していたという貴重な話を聞いた。現在、ニホンザルは、北海道と沖縄県と茨城県を除く日本全国に分布している。なぜ、茨城県にいないのか諸説あるが謎である。しかし、つい最近まで、八郷にも生息していたのは確かなようだ。最近といっても、大正13年生まれのおばあちゃんが子どもの頃だから、昭和の初めの頃の話である。伐採する木に目印を付ける手伝いで、自宅(上青柳)の山に入ったところ、頭の上でサルが鳴き交わしながら飛び回っていて、それはそれは怖かったそうだ。もちろん、その頃にはユートピアは無いから逃げたサルではない。東北帝国大学(理科大学か)が明治時代に、山麓の住民から聞き取り調査をした報告書の中に、サルの被害で困っているという記載があると聞いた事がある。また、明治の中頃の話だが、朝日峠の近くに山仕事に行ったら、サルに昼餉のおむすびを横取りされた人がいるという。では、なぜ今、サルがいなくなってしまったかということは、八郷町民文化誌『ゆう』10号(2001年)の野口淳夫先生の記事を読んでいただきたい。

森からの使い

一昨日の朝、突然、近所のKさんが小屋を訪れた。小脇に段ボール箱を抱えている。何事かと思ったら、前日(22日)の夕方、Kさんの庭の柿の木の根元でムササビが死んでいるのを見つけたので届けてくれたのだ。拾った直後は、まだ体温が残っていたという。見ると、何処にも外傷が無くて、きれいな個体である。ふにゅふにゅの飛膜とふわふわの美しい立派な尻尾に触れたのは、僕にとって初めての体験である。
それにしても、まったく不思議な偶然だ。話が出来すぎている。1週間ぐらい前に、Kさんの森林にムササビが棲息していると話したばかりである。それに、今日は、丁度、自然博物館のFさんも来ていて、これから一緒にムササビの分布調査に出かけようというタイミングである。Kさんは林業家として、過去60年間も森に入っているが一度も見た事が無いそうだから、僕の話を聞いても半信半疑だったようだ。それが、こうして半月もしない内に自分の庭の真ん中で実物と出会ったのであるから、相当に驚いただろう。「これはきっと美しい八郷の自然を守ってくれ!」と直訴しにきたのに違いないと真顔で言っていた。まったく、僕も同感である。



2011年10月21日

カミーノ・ノスタルジカ

8月に下館の店に行った時、もう店を閉めると言うので、「あまりに惜しいからつくば周辺で再開したら」と言ったカフェが、本当に、つくば市の下原に開店した。今日、近くを通ったので訪問した。店内の雰囲気は、以前の店に良く似ているが、北側の大きな透明ガラス窓からの風景が素晴らしい。刈り取られた稲田の向こうに、筑波山が望める。つくばでも、この辺は、まだ鬱蒼とした屋敷林に囲まれた農家が点在している。早くも林に中で色着いている大木はケヤキだろうか・・・。そんな光あふれたのどかな風景を、窓越しにぼんやりと眺めながら、格別に美味しいコーヒーをご馳走になっていると、幸福感がじわーっと湧いてくる。

2011年10月19日

猫にアンプを壊された

昨日、小屋に戻ったら部屋に動物の毛が落ちていた。もしや、ピーのかと思って見ると色が違う。どうやら、どこかの猫が留守の間に餌を食べよと忍び込んだところ、ピーに見つかって、大乱闘となったらしい。しばらくして戻って来たピーのどこにも傷は無い。この勝負はピーの勝ちだったようだ。「よくぞ、戦った。さすが筑波山猫のピーだ」と褒めてやった。
ところが、今日になってステレオアンプにスイッチを入れても起動しない。故障しているようだ。臭い!見るとアンプ筐体の上に、黄色いオシッコが溜まっている。一部が内部に流れ込んで電源部を壊してしまったようだ。自慢のONKYOのアンプだというのに。どうしよう。明日から、音楽の無い生活になってしまう。猫どもにやられてしまった。

2011年10月18日

可愛いね

可愛いね。この子誰の子だかわかる?
(僕の庭にはいないよ)

2011年10月17日

さようなら!ジョブズ

何を隠そう。僕は筋金入りのApple信者なのだ。Macintosh Plusの所有者だし、故スティーブ・ジョブズも若い頃から知っている。彼がアップルに復帰して、1998年に来日した時も、目の前で会ったし写真も写した。僕のこれまでの人生の半分は、いつもAppleと一緒だった。現在は、PowerMac、PowerBook、iPhone4、iPad2、iMac のオーナーである。昨夜、新しいOSであるX10.7(LION)を入れた。すでにiPhoneとiPadは、iOS-5への切り替えも済ました。そんな訳だから、ジョブスが亡くなった時は、無性に寂しかった。いまでも、Appleサイトのトップにある彼の白黒の写真を見ると胸が締め付けられる思いがする。今年の夏、彼がCEOを辞めるとき、「残念だが、とうとう、その時が来た」と切り出したが、この「その時」とは、自分の命が尽きることを指していたのに違いない。自分の死を最後まで冷静に見つめながら、理想とする「作品」を創り続けた生き方は、いかにもジョブズらしくて見事である。
さようなら!ジョブズ


アップルサイト
http://www.apple.com/jp/

2011年10月16日

糞土師:伊沢さんの講演


キノコやコケの著名な写真家であると共に糞土師でもある伊沢正名さんの講演が、八郷の「こんこんギャラリー」であった。今日は「命をつなぐキノコとウンコ」シリーズの最終回である。すでに2回ほど参加したが、聞き逃す訳にはいかない。さっそく、「こんこん」に行ったら、若いお母さんと子どもたちでいっぱいである。話の内容は、雲古から食物連鎖や生死観、輪廻転生まで出て来て、結構、高度で刺激の強いものであるから、内心、ハラハラして聞いていたが、皆、熱心に聞いている。伊沢さんによると、どこでも講演には、女性の方が多く参加するという。やはり、命を繫ぐものとして、女性と子どもには潜在的に関心があるのかもしれない。

伊沢さんが撮影した見事な写真のかわりに、彼の主張を「ノグソフィア11号」から引用します。
「・人は生きるために食べる。食は、他の生き物の命を奪うこと。しかしそれは人間の宿命であり、生きる権利でもある。
・食べたら出す。そのウンコには、多くの命を奪ってきた責任が詰まっている。
・人糞には、消化吸収できなかった栄養がたっぷり残り、他の生き物にとっては極上のご馳走になる。ウンコを自然に返す野糞は、奪った命を多くの生き物に返す、人間として最も崇高な行為である。

『食は権利、ウンコは責任、野糞は命の返し方』」

糞土研究会のサイト
http://nogusophia.com/

2011年10月15日

ヨメナ

いま、小屋の入口の道ばたに、ヨメナの花がたくさん咲いている。素朴なこの花が見たくて、草刈りのときには気を付けて株を刈らないようにして残したものだ。雨上がりの薄暗い天気の中で、真っ白な花弁がよく目立つ。この花が、何とか菊という名前でなく、嫁菜と名付けられたのは、春に若葉を食べたからだろう。

Google+

せっかくGoogle+を始めたのに相手がいない。このブログを見ている方で、相手してもいいという奇特な方がおられたら自己紹介ページにある私のアドレス宛にメールしてください。一緒に、最新&最先端のSNSを体験しましょう。

2011年10月14日

ツリバナの実

ブログを書くのは久しぶりだ。過去の写真がすべて消えてしまったショックで投稿する気になれなかった。というのは嘘で、今月に入ってから先日まで、『筑波山の自然展』で僕もMacもひどく忙しかったのだ。今朝、やっと落ち着いたので、庭を眺めたら、ツリバナの赤い実が弾けて、枝からぶら下がっていた。この木は、これまでは姿も花も地味であまり目立たなかったが、秋が深まるにつれて真っ赤な果実と見事な紅葉で自分をアピールする。

2011年10月7日

もしかしたら

過去の写真がみな消えてしまった。もしかしたら、先日、Google+のアルバムにあった写真を削除したのが原因かもしれない。そうだとしたら、物凄くショックだ!幸いオリジナルは保存されているから、少しづつ復元しようと思う。
教訓ー新たな機能をいじる時は慎重に!

2011年10月2日

栗ひろい

急に涼しくなった。庭を散歩していたら、地面にバラバラと栗の実がたくさん落ちているのをみつけた。急いで、小屋に笊を取りに戻って拾った。大粒で美味しそう。既に、先客があったとみえて、齧られた痕があるのも転がっている。ネズミだろうか。まあ、いい。こんなに実ったのだから林の動物たちと山分けだ。ほんの数分で笊いっぱいになった。今夜の食事は、栗ご飯にしよう!