2013年11月12日火曜日

「小砂焼」を知っている?


庭に昔の煉瓦を敷いている
小屋にじっとしていられなくて、笠間に行ってみようと小屋を出た。笠間まで来たら、山の木々が美しく色着き始めていて、「奥はもっと美しいぞ」と誘っているようだ。それなら、栃木県茂木まで行ってみようと思って向かった。茂木まで来たら、まだガソリンと時間はたっぷりあるし、馬頭まで行って温泉に寄ってみたくなった。湯船の窓からは、雪を冠った那須の山々と那珂川の流れが眺められる。秋の透明な日差しが、湯気を白く照らしている。

 帰り、近くの藤田製陶所に寄った。ここは、唯一現在まで続いている小砂焼(こいさごやき)の窯元だ。この窯は、安政3年(1856年)創業で、現在では六代目の藤田眞一氏が陶主である。この地で、天保元年(1830年)に徳川斉昭が陶土を発見して以来、水戸藩の御用窯であったり、幕末には反射炉用陶土を搬出したりした。更に、明治には日本で三番目に製陶技術学校が開設され、そして大正には日本で二番目の煉瓦工場が稼働するなど、この地は、日本の窯業史に重要位置を占めている。

しかし、今は、小砂焼を知る人も少ない。製陶所も教えてもらわなければ見過ごしてしまうかもしれない。静かな山里に、土壁の崩れかけた工場が、ひっそりとあるだけである。僕は、この小砂焼の質感と独特の色合いが好きで、約35年前に初めて訪れてから、近くに来た時には必ず寄って椀や茶飲みを買って帰った。今回は陶主の奥様に工場内を見せてもらった。土粉の厚く積もった古い木造の建物の中に、陶土を砕く巨大なボールミルや水分を除く圧縮機などが、ひっそりと佇んでいる。何でも、このミルは、煉瓦を焼いていた頃のものだという。すると、100年間も働き続けていることになる。残念なのは、先の震災で登り窯が壊れたままになっていることだ。
 陶土はいくらでも近くで採取出来るという。ここでは原料から作品の制作までを、一貫して家族で行っている。たぶん、こんな焼き物は他では無いだろう。

 隣の工房では、庇から奥まで入り込んだ秋の日差しをあびながら、陶主の藤田氏が一人で轆轤を回していた。
 

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