2009年12月31日

ピーからの挨拶


 薪ストーブを焚いていると、ピーのやつは、おとなしくソファーで寝てばかり。今日は、一日中庭で遊んでいたから疲れたのだろうか、それともストーブの暖かさがよほど気持ち良いのだろうか。

 それから子猫のピーが、皆さんに年末の挨拶をしたいそうです。まだ、皆さんは猫語がお解かりにならないと思いますので、僕が通訳します。

  「今年は、いろいろお世話になりました。皆さん、特にKさんのおかげで、この世に生き延びることができ、そして素敵な主人に出会うことができました。毎日 を楽しく健康に過ごしています。来年には、立派な山猫になるように精進しますので、引き続きご支援のほどをよろしくお願い致します。では、皆様、良い年を お迎えください。」  以上

ミヤマホオジロ


 小屋でストーブの火を眺めていたら、北側のログ壁でゴトンと音がした。何かが追突したらしい。窓からのぞいたら、小鳥だとわかった。かなりのショックだったのだろう、近くのケヤキの枝に止まってじっと休んでいる。胸に黒色の三角形班、眉班と喉は黄色、頭の冠羽が目だっている。 おぉー! ミヤマホオジロの雄だ!
 これは西日本に多く渡ってくる冬鳥だ。この辺では珍しい。それとも近年の温暖化で、東日本でも普通に見られるようになったのだろうか。彼が30分ほど休んで脳震盪を癒している間、じっくり観察することができた。胸の黒の三角と喉の美しい黄色が印象的だった。

2009年12月26日

薪ストーブを焚く

 僕のスリッパにじゃれていたピーが、突然、壁板を凝視した。何を見つけたのかと思ったら、クサギカメムシだった。ストーブで部屋が暖められたので、部屋のどこかで越冬していたのが這い出してきたのだろう。ピーは、得意の猫パンチで攻撃しているが、どことなく腰が引けている。ひどく臭いのだろう。ついにカメムシは無事に逃げ延びた。こんな小さな虫が、強烈な臭気を放つおかげで、猛獣の子猫を退散させたのだ。

 今週から、薪ストーブに火を入れた。これまで小屋でゆっくり過ごすことも少なかったし、薪ストーブを焚くほど、寒い日が無かったからだ。つくずく薪ストーブは、いいものだと思った。生活空間のすべてが優しく暖まって、身体はもちろん心までくつろぐ。それに、メラメラ燃える火を眺めているだけで、ゆったりした時間を味わえる。時々、小さくはじける音とゴトリと薪が転がる音がするだけ。この安物の薪ストーブがあることで、どれほど冬の生活が楽しく豊かになることか。 静まり返った山小屋で、子猫をひざに乗せて、赤々と燃える薪の炎をぼんやりと眺めている・・・・・なんか映画か小説のワンシーンのようで、一人で笑ってしまった。

2009年12月18日

12月の朝


 懸案の宿題も、夕べで終わって、今朝はさっぱりした気分で目覚めた。風は冷たいが、快晴の天気である。枯れたススキの穂に日が当たって美しく輝いている。蓮池には、薄い氷が張っている。ほとんどの落葉樹は葉を落とした。その上に霜が白く降りている。日陰は、いかにも寒そうだ。それでも、ピーのやつは外に出たいと鳴くので、出してやった。さっそく、いつものように、カツラの木に登って遊んでいる。僕は小屋の中でFMから流れる音楽を聴きながら、その様子をぼんやりと眺めている。静かだ。平和だ。ずうっと昔から望んでいた時間とは、こんな瞬間だったのかなとふっと思った。

2009年12月8日

添い寝の相手


ベットで寝ていたら、左の頬に何か暖かくやわらかなものが触れるたので目が覚めた。闇のなか、薄目を開けて見ると、僕の隣に、可愛い「女の子」が添い寝している。・・・ まるで、聊斎志異の世界だ。もっとも、僕の場合は、隣に寝ているのが狐でも幽霊でも柳の精でもなく、子猫のピーだけど。

近頃、めっきり寒くなったからか、僕が眠り込んだ後、ひとしきり小屋の中で走り回ってから、そうっと布団にもぐりこんでくる。そして、朝まで添い寝するのだ。その格好が、実に可愛い。僕の腕を枕にして、お腹を上にして気持ちよさそうに眠っているのだ。時々、夢でも見ているのか小さな声で鳴く。僕が寝返りを打っても起きない。こんな姿を見て、この小さな動物にすっかり信頼してもらっているのだと思うと嬉しくなってくる。

ここで、最近読んだ本を紹介します。それは先月25日に出版したばかりの中公文庫で、タイトルは、「猫」。 猫と暮らし、猫を愛した作家たち(井伏鱒二、谷崎潤一郎、大仏次郎、寺田寅彦、柳田國男など)が、半世紀前に、思い思いに綴った珠玉の短編集です。是非、この本を読んでいただきたい。きっと、ますます、猫が好きになるでしょう。

2009年12月6日

やさとの雲海




今日は、筑波山ファンクラブの観察会がある。朝起きると昨日の激しい雨は止んでいて、青柳の谷いっぱいに朝霧が立ち込めている。ライトを点灯して、ゆっくりと筑波山南山麓の六所に向かった。六所に行くには、途中、急な峠を越えなければならない。尾根道では、霧はもっと濃いかもしれないと心配しながら、十三塚の集落を走った。すると、突然、あたりに透き通るような光が溢れて視界がくっきりと開けた。集落の上半分からは、朝霧がうそのように消えて、朝日がまだ紅葉の残っているクヌギの森を照らしている。
集落を登りきった高台で振り返ると、後にした八郷盆地の底に溢れるように真っ白な雲がたなびき、それに透明な光が当たって、荘厳ともいえる光景が展開していた。息を呑むような美しさである。思わず、車を止めカメラを取り出した。この光景は、年に数回現れるという八郷盆地の雲海である。雲が、盆地を埋め、山の頂だけが孤島のように突き出ている。集合時間のことなどすっかり忘れて、ただ、呆然と見とれていた。(写真をクリックすると大きくなります。右の山懐に木守小屋があります)

2009年12月4日

イチョウもすっかり裸になった




 昨日と一昨日の2日間、ピーに留守番させて、流山に帰っていた。どんな様子だったか気になっていたが、思いのほかおとなしく過ごしていたようだ。悪戯も無かったし、部屋も汚してなかった。山盛りにしておいたキャットフードだけは、すっかり空になっていた。よく食べて、よく寝て、遊んでいたようだ。ドアを開けるなり、よろこんで飛びついてきた。
 今日は、朝からすっかり晴れて、低い位置の太陽が庭の斜面に沿って光を投げかけている。紅葉した葉を照らす光が、逆光となって美しい。森のほうから、サワワーという音が聞こえる。なんだろうと思ったら、時折吹く過ぎる風が、森の枯葉を落す音だ。近くの銀杏畑のイチョウも、すっかり葉を落とした。
 二日間も、小屋に閉じ込めておいたので、ピーを庭に出した。最近は、自分の縄張りをつくったようで、外に出してもあまり遠くに行かない。僕も、安心して自分のことが出来るようになった。(写真をクリックすると大きくなります)

2009年11月30日

晩秋の雨上がり




  一晩中降り続いた雨は、朝に上がった。ピーをつれて庭に出た。小屋のほうを振り向くと、木々は、紅葉や黄葉の盛りをすぎて落葉し始めている。これまで茂みに隠れていた小屋が、枝の間からよく見える。
 いよいよ冬がくる。足元を見ると、綺麗な黄色の玉が転がっている。ワルナスビの実だ。今頃の果実は可愛いが、夏の茎には鋭い棘があって、うっかり触れるとひどく痛い目にあう。
 ひときわ赤く紅葉しているのは、ブルーベリーだ。これには、今年の夏、たっぷりご馳走になった。花も可愛いし、葉もすがすがしい、実は美しくて美味しい。そして、晩秋には美しい紅葉で楽しませてくれる。ブルーベリーに感謝。

 mv7うy-v9:/y[t¥jmn:\:[。 ← ここまで書いて目を放した隙に、ピーがキーボードに乗って意味不明の文章をタイプした。最近、パソコンをやっていると邪魔ばかりする。どうやら、上の写真に写っている姿を探して欲しいと言っているようだ。

2009年11月23日

デッキで朝食を



 このところ、暖かな小春日和と寒い冬のような日が交互にやってくる。今日は、昨日に打って変わって、朝から素晴らしい快晴である。あまりに気持ちの良い澄んだ空気なので、久しぶりにデッキで食事をとった。子猫のピーと一緒に食事をするつもりだったが、彼女は室外に出してもらったのが嬉しいのか、大はしゃぎで木登りに夢中である。もう、一人前の「筑波森猫」の風貌だ。
 これから冬が来て、野外で食事の出来る日が少なくなるかと思うとちょっと寂しくなる。

2009年11月18日

秋の夜長

 秋の夜長とは今頃のことを言うのだろうか。夕食からベットにもぐりこむまでの時間が長い。子猫のピーも遊び疲れて眠くなったらしい。膝の上でうとうとしている。流山の自宅から持ってきた松村の「アブサン物語」も岡谷公二の「原始の神社をもとめて」も読み終えてしまった。さて、次は何を読もうか?こんなとき、いつも手に取るのは、蒲松齢の「聊斎志異全訳全一冊」という分厚い本だ。これは17世紀の中国の不思議な出来事を集めたもので、鬼、人、狐、物、神が一つとなって繰り広げる世界には独特の魅力がある。生命の力が衰えてゆく晩秋の夜、静まり返った山小屋で一人読みふけっていると、物語がいやにリアルに感じられる。明日の朝は、冷えそうだ。

2009年11月12日

猫たんぽ


 午後、流山から山小屋に戻った(勿論、車でだ)。筑波山の朝日峠を越えると、北の地平線あたりは雲も無く、そこから澄んだ冷たい風が吹きつけていた。「ああ、いよいよ木枯らしの季節になった」と独り言を呟いた。
 ずっとピーを車に乗せていたから、小屋に着くなり散歩に出かけた。散歩といっても、ピーは歩くわけではない。ぼくの懐に抱かれて、谷を一周するだけである。ピーのやつは、上着から顔だけ出して、あたりをキョロキョロしている。山間の空気は冷たい。でも、だんだん、ピーの体温で、ぼくのお腹の辺りが暖かくなってくる。まるで湯たんぽを抱えているみたいだ。「猫たんぽ」だ。こんど人に出会ったら、この「猫たんぽ」を自慢してやろうと思っていたら、誰にも会わなかった。ふと覗いたら、いつの間にかピーは、気持ちよさそうに眠っていた。

2009年11月10日

今朝の庭


 昨日の記事に、写真が無かったので、小屋の窓から庭を写した。朝霧で鮮明さに欠くが、これはこれで山里の秋の雰囲気が出ているからいいことにしよう。奥の方からカケスのダミ声が聞こえる。

2009年11月9日

秋深まる

 朝から良く晴れた暖かな天気である。以前からやろうと思っていた小屋の塗装に手を付けた。色は、オリーブである。オリーブといっても、黒褐色に近い落ち着いた色である。終わったのは、午後2時ごろ。今回は2年前に増築した小屋の半分だけである。これで、小屋全体の色調が揃って、一体感が増した。
 塗装が終わってから薪棚を整理した。いよいよ薪ストーブの季節の到来である。森を歩いていても、焚き付けに使えそうな杉の小枝に目がいく。薪ストーブは冬を楽しくする。それに、今年は子猫のPieもいる。

 庭の木々も、だいぶ色付いてきた。コナラやクヌギはこれからだが、カツラ、カラコギカエデ、コマユミ、ナンキンハゼ、ナツツバキなどが今を盛りに紅葉している。トチとホウノキが大きな葉を落している。これから月末までの間が、一年で最も静かで美しい季節だ。一番好きな季節である。

2009年11月6日

子猫にメロメロ


 子猫のpieにメロメロだ。昨日は、何も予定が無かったので、朝から日が暮れるまで、たっぷり遊んだ。二人とも、ひたすら、「食う、寝る、遊ぶ」だけの一日。この小さな毛玉が、一緒に生きていることの喜びを与えてくれる。

 Pieの命の恩人であるK君が、鹿島にヒラメを釣りに行った帰り山小屋に寄った。もちろん、Pieにご馳走するためである。われわれ二人は、残りをもらって夕食とした。そのとき、Pieを見つけたときの状況を聞いた。場所は、千葉県某市の工業団地のU字溝の中である。日時は、2009年10月2日の夕方。K君が、はじめ見つけたときは全身が泥まみれになっており落ち葉の中で蠢いていたので、てっきりヒキガエルだと思ったそうである。翌日も、同じところにいたので、酔っていた勢いもあって拾い上げたら瀕死の子猫だったのでマンションまでつれて帰り、湯たんぽをしてやり、離乳食を食べさせているうちに、だんだん元気になり、一命を取り留めたようである。
 現在のPieは、体重が約900gで、歯が生えそろっているから、生後2月ぐらいかもしれない。するとPieの誕生日は、9月上旬頃だろう。子猫は、生後2~7週間でまわりの世界を認識して、自分の世界を形成するというから、かろうじてこの大切な期間にK君と出会って、「人」という生きものになつく機会を得たのだろう。


 

2009年11月4日

子猫のピー


 近頃、僕の人生で「新たな」出来事が続いている。車に次いで、今度はネコだ。一昨日、友人のK君が、U字溝に落ちて死にかけていた子猫を拾ったのだが、ペット禁止のマンションでは育てるのは難しく、僕の山小屋につれて来たのだ。彼が言うには、立派な八郷山猫になるための訓練はしたという。バッタでも何でも食べて逞しく生きてゆけるように教育済みだと言う。だから、僕が流山に帰っている間でも、一人で生きて行けるという。
 しかし、彼が連れて来た子猫を初めて目にした瞬間、もう駄目だ! あまりに可愛いい!あどけないつぶらな瞳で僕をじっと見つめている。抱き上げると、ふわふわの毛玉のように軽くて暖かい。確かに模様はサバトラ(グレーと黒の縞)で、いかにもヤマネコ風であるが、こんな可愛い子猫を、危険がいっぱいの八郷の野山で放し飼い何て出来ない。森には、ハクビシンやイノシシなど恐ろしい生きものがウロウロしている。しばらくは、小屋のなかに置いて、一緒に生活する事にした。
 この子猫は、なかなか賢い。トイレも一発で覚えて粗相を一度もしたことが無い。それに、やんちゃで活発である。そして、何よりすこぶる美人である。そう女の子なのだ。性格もセンスも良さそうだ。

 昨夜、名前をあれこれ考えた。片手に乗るくらい小さいので、Pico(ピコ)とした。ニックネームは、Pie(ピー)である。

2009年10月24日

ボンネットに乗ったのは誰だ!


 昨日、自宅から山小屋に戻った。まず、真っ先に、置き去りにしておいた車を見に行った。驚いた!何者かが、僕の留守の間に、大切な車のボンネットの上を歩いたのだ。泥だらけの足跡が、点々と付いている。犬が上がるのは無理だ。ネコにしては足跡が大きすぎる。ひとつ心当たりがいる。そうだ!ハクビシンだ!よく見ると、鋭いつめのような跡が残っている。それに、先日の夕方、車を置いた方向で、ギャーギャー鳴いているのを耳にした。どうやら、森に見慣れないモノが止まっているので偵察に来たらしい。
 足跡がカッコいいので、しばらくそのままにしておこうと思っている。

2009年10月21日

秋のハンモック


 あまりに気持ちが良い秋晴れなので、急遽、ハンモックを吊るした。横になったら、木の葉の間から空が見える。空には、いわし雲がゆっくりと東に流れてゆく。目をつぶると、ハンモックの揺れに合わせて木漏れ日の光が、まぶたをなでる。いま、ポツンと落ちたのは、樫の実だろうか、檜の実だろうか。

2009年10月20日

庭の赤い実


 秋の庭は、いろいろな樹木が真っ赤な果実を付けている。カメラを抱えて探した。まずは小屋の前のコマユミ、その先のモッコク、少し離れたところにウメモドキとカマツカ。そうだ、僕が越してくる前からのノイバラとナンテンもあった。ヤマボウシとガマズミは、まだ木が幼くて花が咲かない。あと、2,3年はかかりそうだ。
 赤い実を探していたら、北斜面のヤマイモのツルに覆われた藪の中に、サザンカが純白の大輪の花を咲せているのを見つけた。いつの間にか、サザンカの季節になったのだ。いよいよ秋も深まってきた感じがする。


 

2009年10月19日

車の運転

 久しぶりにブログを更新した。この間、大げさに言うなら、僕にとって、ちょっとしたエポックメーキングな出来事があったのだ。そう、この歳(詳しくは内 緒)になるまで、普通自動車と縁が無かったのだが、この間にオフロード向きの軽自動車を手に入れ、本日、人生で初めて一人で運転したのだ。それも、山道を 30キロも。おかげで、くねくねした細いオフロードには自信が付いたが、まだ、街乗りは不安。更なる訓練を重ねなくては、一生、この八郷盆地から出られな くなる。

オオカマキリ

 
 さわやかな秋晴れの天気。目が覚めたら、ベッドの上の窓ガラスにオオカマキリがとまっていた。大きなお腹に朝日があたっている。まもなく産卵するのだろう。害虫を食べてくれるカマキリが増えるのは大歓迎だ。

 前回のジョロウグモのつづき :
 先の土曜日、茨城県自然博物館で、ボランティアの昆虫チームが、ジョロウグモの相撲を来館者に見せた。Tの字型に組んだ横枝の両端にメスのジョロウグモを配置して争わせようというのだ。いくつかのクモは派手に取っ組み合いしたが、平和主義者が多かったのか、なかなか戦おうとしない。案外、ジョロウグモは見かけによらず、おとなしいのかもしれない。でも、たいへん子供たちの関心を呼んだようで、大人気のイベントとなった。最初は、おそるおそる遠巻きに見ていた子らも、次第に近づき、やがてクモを素手でつかんで、「綺麗だね」とか「可愛いね」というほどなった。とうとう、自分で園内かクモを見つけてきて、相撲大会に飛び入り参加する子供まで現れた。
 クモを毛嫌いする人が多いのは、もしかするとクモ自体のことはよく知らないで、顔にかかったりする巣網かうっとしいだけからかもしれない。クモは、生態の面白いのが多いし、じっくり見るとなかなか美しくて魅力的な生きものである。

2009年10月8日

ジョロウグモ


 台風18号が本州を縦断して東北に抜けた。雨は止んだ。しかし、まだ、時々、雲間から強い風が吹き付けてる。その度に、庭の木々がザワザワと音を立てて大きく揺れる。窓を開けたら、ジョロウグモが、昨夜の嵐で壊れた巣を必死に修復していた。風に邪魔されてなかなか仕事が進まない。もとの見事な網にもどるのはいつのことだろうか。
 ところで、ジョロウグモは、「女郎蜘蛛」と書くことが多いが、古代は「上臈蜘蛛」の意味だった。「上臈」が「女郎」に身を持ち崩した理由は何だったのだろうか、彼女にそっと聞いてみたい。

2009年9月27日

雑草の好き嫌い

 小屋の庭は、除草剤はもちろん、ほとんど草取りをしていないから、実にさまざまな「雑草」が繁茂する。長い期間観察していると、昨年まで優勢だったスゲの仲間が、今年はイネ科にとって変わるなど、草の間にも栄枯衰勢があって興味深い。

 彼らに責任は無いのだが、どうしても僕は雑草の種類に好き嫌いが生じてしまう。カタバミ、カキドオシ、シロツメクサ、コブナグサそれに今花盛りのイヌタデなどは好きな草だが、どうもイノコズチ、ワルナスビ、トキホコリ、ギシギシなどはいただけない。こいつらを見つけると、無性に引き抜きたくなる。ツル植物では、スズメウリやツルマメなどは可愛いが、カナムグラやヤブガラシは始末が悪い。イノコズチは、全体に品が無いし、ギシギシとワルナスビは、周囲の草と調和しない。加えてワルナスビは鋭い棘で、カナムグラは頑丈な茎で反抗する。トキホコリは、軟らかい多肉質の茎が地中動物みたいで気持ちが悪い。(これみんな植物の話だからね。念のため)

2009年9月25日

夕暮れ


 今日は、素晴らしい秋晴れだった。黄昏時、あまりに気持ちが良いので、小屋の下まで降りて行った。まだ、明るさの残っている西の空には、筑波山がシルエットとなっている。その山頂を薄いベールのような雲が覆っている。いま空を横切ったのは、ねぐらに帰るゴイサギだろうか。南の山並みの上に掛かっている上弦の月が光を増した。自動車のライトも目に付くようになった。集落の家々に、夕べの明かりが点り始めた。お腹を空かせた子供の泣き声が聞こえる。犬の散歩だろうか、遠くの方で犬が一斉に吠えだした。この時間の八郷は幻想の世界である。   (写真をクリックすると大きくなります)

2009年9月18日

収穫の秋



収穫の秋が始まった。庭にでてみると、ブルーベリーが熟した果実をたくさんつけているを見つけた。両手に入りきれない。急いで台所に戻ってカゴを持ち出し、今年最後の収穫をした。こんなにたくさんのブルーベリーをどうしよう。独りで、みんな食べたらこれだけでお腹いっぱいになりそうだ。
 小屋に向かう坂の脇に、勝手に生えてきた栗の木がある。いつの間にか大きく育って、今年はたくさんの実をつけた。そのイガが割れて、つややかな色した栗の実が覗いている。収穫して、今夜は、くりご飯でも作ろうか。
 栗の木の下には、真っ赤な彼岸花が咲いている。数年前に、僕が近くの田んぼの畦から移植したものだ。これは毒草だから食べられない。それにしても、この花は、秋の彼岸の到来を確実に知らせてくれる。

2009年9月11日

ヨメナ



 真夏の間、少しさびしかった庭に、花が咲き出した。夏から咲いているサルスベリは、まだたくさんの花をつけているし、あちこちに植えてあるハギも花盛りである。今朝、遅まきのフヨウが、大きな白い花を咲かせているのを見つけた。入口の道路わきには、ヨメナが清楚な花をたくさん咲かせていた。これは、夏草を刈るときに注意して残しておいた株である。僕の思いに応えてくれたのが嬉しい。

2009年9月9日

キノコを見つける


 う~ん、判らない。夕食の準備が終わったので、小屋の下の道まで出てみると、崖下の道端に、背の高い白いキノコが2つ。犬の散歩で通りがかった若い女性と一緒に観察した。それにしても、こんな若い人がこの山里にいたなんて、キノコと同じくらいのちょっとした発見だ。小屋に図鑑を置いていないので調べようがない。どなたか名前を知っていましたら教えてください。(キノコの方ですよ)

稲田が色づいた



 八郷盆地の稲田が黄金色に色づいた。稲穂の上を、秋風が通りすぎる。いよいよ刈り入れが始まる。 (写真をクリックすると大きくなります)

2009年9月4日

カツラの木


 これからしばらくの間、山小屋は甘い匂いに包まれる。庭のあちこちに植えてあるカツラの木の黄葉と落葉が始まったのだ。この木の落葉は、強い香りを放ち、それが風に乗ってあたりに漂う。空気が沈んでいるような夜などは、斜面下の道路を歩いていてもわかる。この香りを、ある人は、醤油の香りだいい、別な人はカラメルだと言う。チョコレートだという若い人もいた。この葉を乾燥させて抹香を作るから、東北地方では、マッコノキとかオコーノキなどと呼ばれる。因に、僕は、べっこう飴の匂いだと思うから、カラメル派である
 この木が大好きな人は多い。まず、新緑の赤みを帯びた葉が美しいし、成葉もハート形でやや青みを帯びた優しい緑色をしていて、葉柄の赤色との対比が美しい。すらりと伸びた小枝も清々しい上に、褐色の幹肌も捨てたものではない。秋の黄葉も美しいし、おまけに落葉まで甘く香るのだから、ファンが多いのもうなづける。そうだ! 花を忘れるところだった。花は、花弁も顎もなく、赤いおしべ(雄株)かめしべ(雌株)が付いているだけで形が面白いし、果実などは、極小さなバナナみたいで実に可愛い。虫もあまり付かない。しかも日本固有種である。こんな魅力的な木であるが、難点が一つある。それは生長が早く、すぐ大木になる事である。このブログを読んで、さっそく植えたところ、数年後にすっかり庭を占領されたとしても、当方は一切関知しません。

2009年9月3日

塩トマト甘納豆


 パンフレットに使うブナの写真を撮りに筑波山に登ったが、濃い霧が出て失敗に終わった。でも、まったく収穫が無かった訳ではない。ケーブルの売店で買った「塩トマト甘納豆」が、大当たりだったのだ。これは、トマト、塩、そして甘味という全く関連の無さそうな、あるいは矛盾するような三つをストレートに組み合わせた食品である。また、製造している所がいい。ラベルに、福島県棚倉町の「メグスリノキ本舗」とあった。味は、砂糖煮の乾燥トマト(多分プチトマト)を塩味にしたものと言ったら近いだろうか。甘酸っぱいトマト味で、グミのような食感である。一つ食べると、次から次へと欲しくなる。それに外観が美しい。ルビーのように透き通った赤や黒みがかった石榴石のようなものに、まぶした細かな塩粒が光っている。
 山の帰りに北条の「カフェ・ポステン」に、食べかけのを持っていったら、マスターが喜んでくれた。さっそく、これを入れたパウンドケーキを試作するという。「トマトのパウンドケーキ」だ。珍品である。彼の腕で、どんなふうに仕上がるのだろうか。すごく楽しみである。
 それにしても、今日はのんびりした一日だった。午前中は、山小屋のデッキで、遊びにきたヒカゲチョウと一緒に遅い食事をとり、その後、筑波山へ登山した。帰りは、「ポステン」のマスターらと楽しく食べ物の話をした後、再び山小屋に戻り、近くの温泉の露天風呂で居眠りしながら暗くなるまで過ごした。


2009年9月1日

その後の庭

 6月24日の写真と見比べて欲しい。現在の庭は、夏草が生い茂り、歩くのもままならぬ状態である。これでも今年になって2回ほど草刈りしたのだが、圧倒的な草の勢いに、また今年もギブアップである。他人から草取りしないのかと問われる度に、「いや〜、森を作ろうと思っているのですよ」とうそぶいている。




2009年8月30日

キクイモの花


 8月も、明日を残すのみ。ブログの投稿数が月を追うごとに先細りになっている。これではイカンと、慌てて庭の植物を写した。いま咲いているのは、キクイモとサルスベリ、萩だけ。キクイモは、僕が小屋を建てる前から一面に繁茂していた雑草で、これまでに手当たり次第引き抜いた。だいぶ追いつめたが、まだ庭の一部に残っている株が、こうして美しい花を咲かせている。このような花を見ると、少しぐらいは彼らを生かしておいても良いかなと思ってしまう。甘いかな?

 

2009年8月29日

イチジク


 僕の庭にも、大好きなイチジクは、当然植えてある。でも、いまだに満足な果実が収穫出来ていない。幹に鉄砲虫が入って、木を弱らせてしまっているのだ。実が大きくなる前に萎んでしまう。潜んでいるのではと思われるところに、針金を差し込んだりしているが、敵は手強くて、あちこちの幹や枝を食い荒らしている。

 諦めかけていたイチジクであるが、今日、自然学校の帰りに寄ったつくば市北条の「カフェ・ポステン」でコンポートを試食させてもらった。長い時間をかけて、甘いシロップと赤ワインで煮込んだイチジクに生クリームが添えてある。それが、ガラス工芸家の大西さん(マスターの奥さん)が制作した澄みきった透明グラスに入っているのだからたまらない。イチジク独特の風味が赤ワインとシナモンの香りと一体となって、とろりと溶けている。種子の小さくプチプチとした食感も楽しい。まだ熟しきらないガリガリのイチジクを、このようなデザートに変化させる料理人は、本当に魔法使いだ。ぜひ、イチジク嫌いの方も、お試しあれ!イチジクのイメージも一変するだろう。


2009年8月27日

「田舎暮らし」とインターネット

 山小屋では、午後10時までには就眠する事にしているが、昨夜はこのルールを破って午前0時過ぎまで起きてしまった。Skypeのテストをしていたのだ。これが実に面白くて、様々な機能や会話に夢中になってしまったのだ。何しろ、相手の画像を見ながら会話して、チャットの文章を交換して、時にはファイルを送り合うことが同時に出来てしまうのだ。しかも、世界中を相手に何時間やっていても通信料はタダ! 約20年前にインターネットに出会った時やブログの出現を知ったときのような感動である。
 僕の山小屋生活では、本当に必要なものだけ(あれば便利というものは排する)を置き、出来るだけシンプルな生活を旨としているが、ただ一つ、インターネット環境だけは例外である。600坪の敷地どこでも無線LANが使えるようにしてある。トイレは無くともインターネット環境は、僕にとって必需なのである。インターネットを通じて、ニュースを読み、知識を得て、商品を注文して、家族や知人友人と情報交換している。いわば、この山小屋では、電話とともにインターネットが、外部社会と繋がるとても重要な窓なのだ。これが無ければ、僕には、とても「田舎暮らし」は出来ないし、山小屋で生活しようとは思わなかっただろう。


 

2009年8月18日

ブルーベリーが実った


 お盆を自宅で過ごしたので、久しぶりで小屋に戻った。ヒヨドリの巣は、空っぽになっていた。雛たちは、僕が留守している間に、巣立ったのだろう。お別れの挨拶が出来なかったのが残念だったが、どうせ庭のウワミズザクラの実を食べに来るからまた会えるだろう。
 ぼうぼうに伸びた夏草を掻き分けて、ブルーベリーを見に行ったら、大粒の果実がたくさんみのっていた。さっそく、摘んで口に投げ込んだ。みずみずしくて甘い。実に美味い!
 厳密に言うと、このブルーベリーは、僕のものではない。数年前、会社の女性たちから募金を集めて苗を購入したのだ。僕が誠意をもって育て、果実が実ったら、皆で分ける契約にした。ところが、このアイデアは失敗だった。それからというもの、実が付かないときでも僕が一人で食べてしまったという疑念を晴らすために、ずいぶんと苦労しなければならなかったのだ。
 たくさん実って、多少は契約を履行できる状態になったのは、昨年からである。しかし、今年は、ヒヨドリの子供たちはいるし、果たして皆さんに味わっていただけるか、いまのところ解らない。(女性の皆さん!このブログ見てますか?写真をクリックすると大きくなるからそれで我慢して!)

2009年8月1日

祝!ヒナ誕生


 筑波山麓自然学校から帰って、さっそく山小屋のヒヨドリの巣を覗いた。親鳥が留守だったので、もしかしたらと思ったら的中した。まだ、目の開かない赤子のヒナ2匹が、弱々しい首を精一杯伸ばして、大きな口を開けて餌をねだっている。とうとう、雛が孵ったのだ!
つい嬉しくて、お向かいのDさんと道で出会った時に、「私の小屋のネー、ヒヨドリの巣にネエー、雛が孵ったのですよ!」と自慢してしまった。この雛も、あと10日もすれば巣立つだろう。最後まで見守ってやりたい。

2009年7月31日

卵が4個


 3日ぶりで自宅から山小屋へ戻った。ヒヨドリの営巣を確認したのが7月15日だったから、もしかすると雛が孵っているかもしれないと期待していたが、まだのようである。でも、抱卵してから13~14日目頃に孵化するそうだから、うまくすれば今回の山小屋滞在中に雛の誕生に出会えるかもしれない。窓のすぐ脇で、可愛い雛がえさをねだってピーピー鳴くのを聴けるのも、そう遠くないだろう。
 先日(24日)、親が留守のとき、巣の中をのぞかせてもらったら、卵が4個あった。巣のつくりは、どうして、どうして、なかなか精巧なつくりである。以前、「粗雑だ」とこのブログに書いたのを撤回したい。写真は、このときのもの。

2009年7月20日

ただ今、抱卵中につき


 朝起きてコーヒーを飲んでいたら、窓際のハクウンボクで営巣しているヒヨドリと目が合った。(ような気がする) 彼女(?)は、じっと空中を見つめながら、お腹を深々と巣の中に沈み込ませて、一心に卵を抱いている。長い尻尾が巣からはみ出て斜め上に持ち上がっている。彼女は、必ず南側から巣に入り、ちょうど小屋の入口や部屋の中がのぞける角度に座るから僕の動きが丸見えだ。そこで、安心して子育てしてもらうために、僕もだいぶ気を使っている。ドアの開け閉めは、そっと素早くやっているし、部屋にいるときも出来るだけ静かにしている。ログの板壁を隔てて置いてあるCDも出来るだけ音量を小さくしている。雛が孵ったら、静かなクラシック曲を流してやろうと思っている。きっと、子供たちは、素晴らしい鳴き声のヒヨドリに育つだろう。

2009年7月19日

片野の排禍ばやし



 つくば環境フォーラムの筑波山観察会が終わって、汗を流そうと、バイクで石岡の風呂に向かった。明るく赤みを帯びた空と緑濃い稲田の海。筑波連山のシルエットを背景にして、広々とした稲田の上を風が渡る。
 山里の夏の夕方。前方の遠くにから、お囃子の音色が聞こえる。山車を囲む人の群れも見えた。そうだ!今日は、片野のお祭りだ! 近づくにつれ、子供や若者の歓声が聞こえてきた。山車の上では、笛や太鼓、鉦に合わせて、狐や獅子、ヒョットコやオカメが踊っている。大きく育った稲田の道を、キツネの山車が通る。何だか、遠い昔、見たことのあるような、あるいは夢でみたことあるような、懐かしいような寂しいような不思議な気持ちになった。

2009年7月15日

鳥の巣


 うかつだった。南東の角に植えてあるハクウンボクの木に、ヒヨドリ(たぶん)が巣を掛けたのを、まったく気づかなかった。それも、地上から約3mの高さで大きな葉が密集しているあたりにあって、小屋の東側の窓から2mも離れていない。子育ての様子を観察するのに絶好の場所である。巣はかなり大きい。しかし、こう言っては何だけど、エナガなどの小さいが精巧なつくりに比べると、その辺から拾ってきたビニール紐を多用したかなり粗雑な造りである。巣作りにも、鳥の性格(?)が現れているような気がする。
 この写真を写したときは、まったく動きが無くて、すでに巣立った後か、途中で放棄したものかと思った。しかし、今日の夕方、木の下を通ったら、突然、葉の中でガサゴソと音がした。どうやら、まさに営巣中らしい。安心してもらうために、さっそく巣の近くの窓のカーテンを閉めた。明日からは、営巣木にも近づくのはやめよう。(写真をクリックして、中央部を探してください)

 


庭の生きものたち


 昨日、梅雨が明けたそうだ。強い光が庭に溢れている。窓を開けると、気持ちの良い風が吹き込んでくる。庭のいたるところで生きものたちの姿が見られる。ノシメトンボにアキアカネなどのトンボ類、ものすごく細い腰をしたジガバチ、カナブンやノコギリクワガタなどの甲虫類、それに今日は朝から、枝垂桜でアブラゼミが盛んに鳴いている。
 昆虫ばかりではない。今朝、庭に出たら目の前を、やや大きなアカガエルが、すごい勢いでジャンプしながら横切った。すると、その後から中くらいの綺麗なシマヘビが、これまた、ものすごい勢いで追いかけてきた。蛙も蛇も、こんなに速く走るのを見たのは初めてである。両者とも必死なのだろう。蛙を助けてやろうと思って、足で地面を叩いて僕の存在を示したら、蛇は気がついて追うのを中止した。朝飯を取りそこなった蛇には気の毒だが、僕はどちらかというと蛙の味方なのだ。昨日も、小屋のすぐ前で、長さがが2mもあるような大きなシマヘビを見かけた。今朝のとは、別なようだ。なんだか、庭に蛇がうようよいるようで、気色が悪い。
 これは、目撃したわけではないから確かなことは言えないが、ハクビシンにプラムをすべて奪われた。庭の隅に植えて数年がたち、今年、初めて果実が稔ったので収穫を楽しみにしていた。ところが、一昨日、小屋に着いて、真っ先にプラムの木を見て唖然とした。ひとつ残らず、実が無くなっているのである。はじめは、人間(泥棒)の仕業かと思ったが、植えてある場所は、外部からそう簡単にわからない奥の方だ。きっと、ハクビシンの仕業に違いない。それにしても、始めて稔ったのだから、1個ぐらいは残してくれても、いいじゃないか。

 

ヤマユリガ咲いた


 梅雨明けの今頃になると、山小屋は甘い濃密な香りに包まれる。周辺の斜面に、ヤマユリが一斉に咲くのだ。夕べもこの香りに誘われて探してみたら、小屋の北側の斜面の中に、夏草に埋もれて見事な花が咲いていた。この斜面につづくお隣の杉林の斜面にも、たくさんのヤマユリが一面に咲いている。きっと、夏のたそがれ時に、山沿いの道を散歩する人は、この香りに酔いしれるだろう。
 信じられないことだが、お隣のおじいさんが、「百合を取らないで下さい」と立て札を立てて大切にしているにもかかわらず、球根を掘り起こして盗む人が後を立たないという。自分の庭で育ててみたいからだろうか、それとも百合根を食べるのだろうか?困ったことだ。

 いつか、私のところの斜面も、たくさんのヤマユリの花で飾ろうと思っている。もっと増やすには、どうしたらいいのだろうか?

2009年7月6日

何かが住み着いた

 先週の後半から、最近出版された梨木香歩の「f植物園の巣穴」(朝日新聞出版2009.6)を読んでいる。そのせいか、梨木ワールドに落ちたようなことが起き始めた。

 自宅は、千葉県にあるのだが、それが建ててから約30年にもなろうとするボロ家で、狭い敷地にはカキやヒメシャラ、ドウダンツツジ、ユッカラン、それにアジサイ、カクレミノなどが、うっそうと茂っている。しかも、隣は夏草が繁茂する草原とイヌシデやエゴなどの雑木林である。そんな環境だからだろうか、毎年、今頃の蒸し暑いじめじめした夜には、明かりに集まる小昆虫を狙って居間のガラス窓にヤモリが現れる。時には、卵をお腹に抱えた大きな雌だったり、粘土細工のような子供のヤモリだったりする。北関東で育った僕と家内はヤモリが珍しかったし、その姿が可愛いので、いつの間にかヤモリの出現を歓迎するようになった。それに「家守」だから大切にしているといってもいい。なかなか姿を見せない年などは、近所の猫に襲われたのだろうかとか、何かこの家が嫌いになることがあったのだろうかと気をもんでだりした。
 ところが、今年は少し様子が違う。例年のようにヤモリも目撃したが、それだけではなさそうだ。先週の木曜日の夜、一人で留守番しながら、梨木香歩の小説を読んでいたら、居間の天井の隅で、ガサゴソとしきりに音がするのだ。ヤモリは音を立てるはずが無い。ネズミでも住み着いたかと思って、音のするあたりを叩いたらぴたりと止んだ。ところが、翌日の金曜日には、音はさらに大きくなり、天井裏を傍若無人に走り回るまでになった。家内は、何か大きくて重いものを引きずる音まで聞こえたから、絶対に、ネズミでは無いと言い張る。いったい、何が住み着いたのだろうか?(これだから、古い家は楽しい)

アキニレにクワガタが!


 昨日、友人のTさん家族が小屋に来た。数年前に来たときは幼かった息子さんが、もう小学3年生だという。子供と樹木の成長には、本当に驚くばかりだ。その息子さんが、クワガタを捕まえたいそうだ。困った!確かに、小屋の周りにはクワガタが好む雑木がたくさんあるから生息しているだろうけれど、どこに行ったら見つかるものか見当がつかない。でも、せっかく東京から来るので、失望はさせたくない。家族が到着する前に目星をつけておこうかと、まずは、最初に小屋の入口の前にあるアキニレの木を探した。そう、これは以前にオオスズメバチが止まっていた木だ。・・・・ すると、何と! 予想は一発で的中した。ノコギリクワガタのオスとメスが、夢中になって樹液を吸っているではないか。まずまずの大きさだ。これで一昨夜来、悩んでいた課題があっさりと解決したのでほっとした。あまりに、あっけなくて、自分でも驚いている。
 虫たちは、このアキニレの食堂がよほど気に入っているらしく、その後も、ここで2度もクワガタを捕まえた。4度目は取り逃がした。捕っても捕っても、すぐどこからかすぐ飛んでくるようだ。
 今朝になって、写真を写しに行ったら、また、新しい2匹が食事中だった。

2009年6月30日

梅雨の合間に


 夕べからの雨で調査の仕事が中止になった。内心ほっとして、何することもなく小屋でのんびり過ごしている。午後から止んだので庭に出た。明るい緑のハート型したカツラの葉の上でたくさんの雨粒が、雨空を映して光っている。このカツラは、6年前に小屋を建てたときに植えたものだ。そのときは、高さ1mぐらいの弱弱しい苗木だったのが、今では8メートルにも生長して雨露がしのげるほどになった。

 その先に、ネムノキがある。これは庭が牧草地で何も樹木が無かった頃、真っ先にどこからかやってきて育ったものだ。ふと見たら、花が咲いている。繊細な雄しべが、雨に打たれて絡まっている。濡れそぼった美女の風情か?

2009年6月24日

現在の庭


 今まで動植物の小世界を紹介することが多かったので、ここで、現在の庭(庭と言えるのなら)の写真をアップする。でも、これは庭の一部だけ。反対側を向くと、一面のヒメジオン、キクイモ、セイタカアワダチソウ、それにクズの「原野」で、今のところ、とても見せられたものではない。中央の木々の間に見えるのが、小屋の窓。

コンニャク


 あれほど強く降った雨も、午後から晴れた。まだ、露の残っている庭を歩いていたら、コンニャクが芽を出して、いつの間にか大きくなっているのを見つけた。毎年、この辺に生えてくるのだが、冬の間は地上部が跡形もなく消えているので忘れてしまう。そして、春になり、それも他の植物がとっくに大きくなった頃になって、突然、シミをたくさんつけた肉質の太い芽を出す。それも、唐突という感じだし、あまりに動物的なので、何回見てもギョッとする。
 でも、もう大丈夫だ。先端から緑色の葉が広がり始めた。これから夏の強い光をだくさん浴びて、急速に生長して、地下の芋(地下茎)を太らせるだろう。確か、今年は3年目だ。そろそろ食べごろのはずだ。