2010年12月29日

夢の気持ち

 一昨日の明け方、夢を見た。その時の印象が、いまだに僕の中に残っていて、思い返すたびに、快い幸福感に包まれる。その夢というのは、僕がどこかの高台 -故郷のよう- に立って、知らない人々と地平線まで広がる風景や空に浮かぶ白雲を眺めながら、ここに住むことの素晴らしさを話しているという、たったそれだけの内容なのだが、この時に自分の中に生じていた感情は、これまでに経験した事が無いような種類のものであった。言葉にするのは難しいが、よく晴れた日の夜明けのように深く静かで、どこまでも透き通っていて、そして暖かく落ち着いている。何の執着も、少しも心乱すものが無く、何もかもが満ち足りている。初めて会った人たちなのに、なぜか心が通い合っている。
  現実の生活でも、どうしたら、このような心境になれて、ずっと持続できるのだろうか?

2010年12月27日

森のボランティア

  一昨日、つくばで森の手入れ作業があった。冷たい風の吹く日にもかかわらず、多くの大学生やボランティアが参加した。まずは、エノキの落葉の中で越冬しているオオムラサキの幼虫探し。すごく嬉しいことに、9頭も発見して、3年前からこの森に定着するようにと放蝶した成果が確認できた。その後は、下草刈り。若い人たちが頑張ってくれたおかげで、森はみるみる間にスッキリした。
  写真は、先週の日曜日に石岡で「ジオアート」のY氏が開催したイベントで、僕が初めて作ったクズの編みカゴに、森で見つけたサルトリイバラの果実を入れたもの。カゴと真っ赤な果実が、あまりに調和していたので、参加したTさんご夫婦にセットで差し上げた。

2010年12月24日

菖蒲沢への散歩

最近、車ばかり乗っていて歩かなくなった。これでは足が鈍るばかりだ。そこで、今日は少し長めに散歩をすることにした。山小屋の脇の山道をまっすぐ登り、椿峠を越えて、龍神様と薬師堂にお参りして、菖蒲沢に抜けるのだ。この龍神様と薬師様は僕の守り神とかってに決めている。天気は暖かく、空気は澄んでいて清々しい。山道の両側に続くコナラ林は、すっかり葉を落として明るい。裸になった木立の間から、筑波山に連なる山々が見通せる。厚く積もった落葉を蹴散らしながら歩くと、カサコソと乾いた音がして楽しい。巨岩が重なった龍神様まで登ると、突然、東方面の展望が開ける。思い切り深呼吸をして、この一年の間に溜まった汚れを吐き出した。やがて薬師堂に着いた。いつ来ても、ここで人に会う事は滅多に無い。鬱蒼した森に囲まれて、いつものように静かに薬師如来様が座っている。突然、静けさを破ってチェンソーの音がする。珍しい事もあるものだと思って近づいたら、穏やかな表情をした老夫婦が、ヒノキを間伐していた。声をかけると、「飽きてきたので、そろそろ止めて自宅に帰るところだ」という。自宅は、すぐ下の菖蒲沢だという。お二人に聞くと、このヒノキ林は、昔は畑で、その後、栗を植えたがイノシシの被害がひどくて結局はヒノキ林にしたそうだ。こんな山の中腹まで畑だったとは驚いた。そう言われて見れば、山中の所々に平らな地形がある。昔は畑だったのだろう。おじいさんから、この土地の古い歴史と薬師堂と龍神様の由来を聞いた。言い伝えでは、薬師様が漁師に拾われて背に担がれ、この地まで来た時、龍神様が一休みしたらどうだと言ったので、漁師は「よいとこしょ」と言いいながら腰を下ろしたところ、それを聞いた薬師様が、「そんなに良い所ならここで降ろしてくれ」と言って寺が開かれたそうだ。確かに、菖蒲沢は北と西側に筑波山からの峰を背負い、南向きの斜面が広がる暖かい所である。ヒメハルゼミ生息地の北限として天然記念物にも指定されている。きっと昔から、暖かくて水も豊かな人の住みやすい良い土地だったのだろう。おばあちゃんからは、「ここで会ったのも何かの縁だから」と、おにぎりとお茶と焼き栗までいただいた。しばらく土地の話を伺ってから、麓にある東光寺跡を訪ねるために、お二人と別れて菖蒲沢の集落に向かった。
僕の山小屋の近く、距離にして3、4km、時間にして2時間ほどの散歩だったが、土地の人々と温かく交流したり、中世まで遡る土地の歴史を感じたり、初冬の静かな自然を楽しむことができた。「歩く」と、いたるところで発見と出会いが待っていて、到底「車」では味わえない密度の濃い世界が展開する。(写真は菖蒲沢の集落。クリックすると大きくなります)


2010年12月22日

「100年前の女の子」

 夕べの激しい雨も上がった。ピーは、本立ての上で居眠り。早朝5時から起きて小屋の中を飛び回っていたので、眠くなったのだろう。
僕は、先週自宅に帰った際に買ってきた船曵由美著の「100年前の女の子」(講談社 2010年)を、先ほど読み終えた。これは著者の母親が、100年前に栃木県足利の田舎で生まれ少女時代を過ごした記録である。北関東の四季おりおりの農村の暮らしや人々の風俗、それらを優しく包む自然と動物との交流、そして幼くして養女に出された時の辛くて哀しい思い出などが、平易な言葉で詩情豊かに綴られている。僕も、その近くの館林に生まれた。読んでいて、何度も遠い昔の出来事や、もうこの世にいない人々を思い出して、目頭を熱くした。どこかの書評に「新しい遠野物語の誕生」とあったが、本当にそう思う。それにしても、昔の生活は厳しくて貧しかったが、何と精神的に豊かだったのだろう。この本を読んで、私たちは、この100年間に何を得て何を失ったのかを考えさせられた。

2010年12月19日

霜の朝

朝起きて、カーテンを開けたら、庭は一面の霜景色。顔を近づけて、枝先に残った葉をよく見ると、小さな氷のつぶつぶで縁取られている。このところ、季節は、やっと冬らしくなってきたようだ。外の蛇口も凍っていて回らない。「しまった!夕べのうちに水抜きしておけばよかった」と思ったが、もう遅い。でも、「まだ、この程度の冷え込みなら大丈夫だろう」と楽観視して、霜の観察を続けた。
(写真をクリックすると氷の粒が見えます)

2010年12月14日

落葉した庭

  忙しさも一段落して、雨の山小屋を楽しんでいる。庭は、ほとんどの木々が落葉したので、明るい。おかげで、これまで道路側から見えなかった山小屋が、裸になってしまい丸見えだ。冬でも隠れるようにと常緑樹のシラカシを植えたが、まだ幼くて、あと数年はかかるだろう。
  ピーのやつ、この2、3日、変な鳴き声になっている。風邪でも引いたのだろうか。それとも変声期なのだろうか。(猫に変声期ってあるのかな?)今朝は、カエルを踏みつぶしたような声で僕を起こした。大笑いしながら、「お前がカエルをいじめるからこんな声になったのだ」、「謝らなければ、元に戻らないよ」と言い聞かせてやった。

2010年12月3日

小屋の新しい仲間

  そう、この猫は、先日、友人たちと「しが」さんの工房を訪れた際に、彼女のギャラリーから連れてきたもの。今では、すっかり山小屋の住人となって、いつも机の上から、僕とピーに何やら難しい哲学を語りかけている。

「しが」さんへの訪問は、とても印象的な体験だった。「しが」さんご自身とさまざまな作品群、それらが生まれた工房や家、そして、これらを静かに包み込んでいる周囲の森の木々、澄んだ空気・・・すべてが一つに美しく調和して、「しが」さんの独特な世界を創っていた。まるで魔法にかけられたような晩秋の一日だった。

2010年12月1日

薪の置場を作る


僕が薪置場を夢中で作っていたら、先ほどまで周りをうろちょろして邪魔していたピーの姿が無い。また、遠くに遊びに行ったのだろうと思っていたら、近くのコナラの落葉の上で、気持ち良さそうに居眠りをしていた。僕も、一応、置場は完成したし、指を金槌で叩いてしまったし、この辺で休憩したくなった。そこで山向こうの「カフェ・ポステン」へ行くことにした。途中の不動峠の山道は、落葉を一面に敷き詰めたよう。それを、農家のおばさんが、かき集めて大きな袋に入れていた。堆肥にでもするのだろう。林の所々にあるカエデに午後の陽が当たって真っ赤に光っている。やはり、峠を越えてきた甲斐があった。コーヒーが実に美味い。疲れた身体に染み込んでいく。

2010年11月28日

困った!デザインが元に戻らない

友人らが、山小屋にやってきたので、いかにブログが簡単かを、あれこれ調子に乗って実演していたら、今までのデザインが壊れてしまった。何としても元に戻らない。試行錯誤して、やっと以前の雰囲気に近づいてきたが、まだ、何処となく変である。これも「慣れれば」と自分に言い聞かせて、この辺であきらめることにする。

2010年11月24日

黄葉のウリカエデ


 山小屋の黄葉も、益子に負けていない。ウリカエデに陽が当たって、金箔のように輝いている。是非、上の写真をクリックして大きい画像で見て欲しい。僕の感動の1パーセントぐらいは伝わるかもしれない。

 11月5日に、果実を紹介したコマユミも、すっかり紅葉した。後ろの黄葉は、ハクウンボク。

2010年11月23日

僕は猫を二匹飼っていたらしい

 
 益子から山小屋に戻ったのが夕方の5時過ぎ。もう、すっかり暗くなっていた。いつものように、ピーが僕の車の音を聞きつけて出迎えてくれた。甘えるピーを抱いて、小屋に入ろうと電灯を点けたとたん、部屋の長椅子から、白と黒の猫が飛び降りて反対側のドアから逃げていった。隣の雌猫だ! このところ、小屋の周辺では良く見かけるが、まさか、山小屋の中まで入り込んで、僕らの長椅子で堂々と寝ているなんて思いもしなかった。そう言えば、近頃、ピーの餌皿がすぐ空になって、日に何度もキャットフードを足している。その時は、ピーのやつが冬に向かって食欲がおう盛になったのだろうぐらいにしか思わなかったが、これで、すべてが解った。ピーの残したキャットフードを、あの白黒のニャンコが食べていたのだ。それにしても、ピーやつ、お気に入りのベッドを勝手に使われ、食べ物までを奪われて黙っていたのだろうか?精悍な顔つきをしていても、まだ1歳の子供だから文句が言えなかったのだろうか。それとも、お隣の可愛い雌猫だから大目に見ていたのだろうか。


益子へコーヒーを飲みに



 今日一日は実に長かった。しかも、変化に富んでいて充実していた。まずは、つくば市の六所で、地元の住民から炭焼きで生活していた頃の話(後日、詳しく書くつもり)を聞いた後、まっすぐ、栃木県の益子に向かった。久しぶりにSTERNETのコーヒーが飲みたくなったのだ。相変わらず、このカフェはカッコいい。コンセプト、デザイン、そして周囲の環境などを総合したら、関東でも(たぶん日本でも)トップクラスだろう。オーナーのBさんやスタッフたちと、初めてこの店を訪れた頃のことを楽しく話した。こんど東京に店を出すという。
   http://www.starnet-bkds.com/

 帰路は、見事に紅葉したコナラ林の中を走って岩瀬から真壁を経て小屋に戻った。途中の真壁では寄り道して桜井館で風呂に入った。この鉱泉も古い。きっと明治時代からあったのだろう。あるいは、もっと前からか。子供の頃、親父からもらった陸軍測量部作成の5万分の一地図にも、ちゃんと表記されていた。その地図を頼りに僕が初めて訪れたのは30年ほど前だが、今日訪れても、その頃と変わらない雰囲気が漂っている。こんな宿が、つくば市から車で3、40分の所にあるなんて驚きだ。写真は、途中の益子南部から雨巻山方面を写したもの。(クリックすると大きくなります)



2010年11月22日

カップにドロバチの巣が


 志賀さんとお会いしたので、もしかするとこれも「しが」さんの作品かなと思って、しばらくの間使っていなかったコーヒーカップを取り出した。すると、驚いた! カップの底にドロバチの立派な巣があるではないか。蜂は、いつの間にか僕の知らないうちに、せっせと台所の棚の奥に置いたカップの中まで土を運んで巣を建設していたのだ。見ると、出て行った穴がある。彼女は、この中に卵を産み、青虫などを運んで幼虫を育てあげ、親子共々去ったのだろうか。それにしても、ずいぶん変なところに巣を作ったものだ。でも、今年の夏の間、同じ部屋で一緒に生活していたかと思うとちょっぴり微笑ましい。(写真をクリックすると大きくなります。ただし虫が苦手な人はご遠慮ください)

「しが」さんの皿


 毎年、この季節に八郷の大増地区で開催される「やさとクラフトフェアー」に行った。八郷在住の作家を中心に全国から工芸家が集まっての「お祭り」だ。紅葉した山々に囲まれた田んぼの中に、それぞれが小さなテントを張り、造りためた陶器や工芸品、アクセサリーなどを展示販売する。隣の神社脇では、ジャズバンドが演奏される。いかにも手作りの人たちの祭りらしさと周囲ののどかな山里風景が調和していて心地よい。
 今年の収穫は、「しが みさこ」さんと会場でお会いできた事だ。彼女の作品は、モダンで暖かみのある独特な世界があって、以前から知っていたが、本人に会うのは初めてである。聞いてみると、何と!僕の山小屋の近くに工房があると言う。話は盛り上がって、こんど工房へ遊びに行く事になった。ちょうどいい。来週、昔の職場の女性たちが山小屋へ来るので、さっそく皆で押し掛けてみよう。きっと楽しい時間が過ごせるだろう。
 クラフトフェアーで買ってきた「しが」さんの皿に、リンゴを置いてみた。ウ〜ン、なかなか、いい感じ!





2010年11月19日

散歩


 あまりに気持ちが良い天気なので小屋の周りを散歩した。筑波山では、とうに、つつじヶ丘の草原やその上のブナ林が薄茶色に染まっている。次は山麓の番だ。正面のクリ林も月折山の雑木林も色着き始めた。屋敷林の黄葉は、ケヤキの大木だろう。脇に広がる銀杏畑のイチョウも、まっ黄色になって散り始めた。そろそろ、薪ストーブの準備を始めなくては・・・。(写真をクリックすると大きくなります)

2010年11月16日

ナツツバキに光があたって


 朝起きたら、東側の窓が明るく輝いている。日の光が黄色く色づいたナツツバキの葉を透かして部屋に飛び込んでいる。あまりに奇麗なので、着替えもせずにピーを膝に乗せたまま、椅子に座って見入ってしまった。まだ、昨夜の雨が乾ききっていない。シジュウカラの群れが枝から枝へと飛び移ると、しずくがパラパラ落ちる。膝上のピーの温もりが気持ちよい。今日は、すばらしい天気になりそうだ。さ〜て、何をして一日を過ごそうかな?(贅沢でしょう!でも、こんな日は稀なんですよ)

2010年11月15日

カマツカ


 庭の赤い実をもう一つ紹介しよう。カマツカだ。材が固くて丈夫なので鎌の柄に使ったから、この名前がついたそうだ。別名のウシゴロシは、牛に鼻輪を付ける時に、この木で穴を開けたことに由来する。物騒な名前である。
 しかし、僕は、小学生の頃、学校帰りに途中の雑木林でこの果実を食べた甘酸っぱい懐かしい思い出がある。当時は、小さなリンゴのような味がして、美味しかったような記憶がかすかにある。でも、いま食べてみると、確かに同じバラ科だからリンゴに似ているような味もするけど、それほどうまいものではない。自然を相手にしていると、大人になって損をしたと思う事がたびたびある。(写真をクリックすると大きくなります)



2010年11月12日

西側から見た小屋


 原野だった土地に、一本ずつコナラ、クヌギ、カツラなどの苗木を植えて7年が過ぎた。今では、それらの木々が小屋を囲むように大きく生長した。この1、2年、当初イメージした庭に近くなってきたのが、たまらなく嬉しい。あと10年もして、本物の雑木林のようになったら、もっと嬉しい。今日は、ある設備が導入されたのを記念して、西側から写した山小屋の写真を掲載します。中央の煙突のついたレンガ造りの箱は、昔作ったピザ&パン竃です。(焼却炉ではありません。念のため)


2010年11月9日

ノウサギの子供


 今朝は、深い朝霧が小屋や庭を覆ている。ピーと散歩していたら、あいつが突然走り出した。しばらくして、何か大きなものをくわえて戻ってきた。ノウサギだ。自分の体の半分もある大きさだ。まだ、生きているかもしれないと思って、すぐに取り上げたが、駄目だった。喉のところに小さな傷があり、赤い血が滲んでいる。一撃だったのだろう。ノウサギは子供で、つぶらな黒い目が可愛い。そっと持ち上げると、ふわふわの毛皮を通して、まだ残っている体温が暖かい。ピーを責めてもしかたがない。「ごめんな」と謝りながら、土に埋めた。

2010年11月8日

木々が色着き始めた


 今朝の庭はとても美しい。誰かに見てもらいたいと思っても客の予定は無い。僕とピーだけが楽しむだけではもったいない。
 黄葉を始めたカツラ、カラコギカエデとアブラチャン。それにナツツバキ、ブナ、ヒメシャラ。赤色のヤマボウシ、ジューンベリー、サルスベリ、マルバノキ・・・。これらの木々を雲間から射し込んだ日の光が照らしている。あたりには、カツラの甘い香りが漂っている。聞こえるのは、ヒヨドリの鋭い叫び声と遠くで鳴くカラスだけ。

2010年11月5日

コマユミの秋


 今、庭では、あちこちの赤い実でにぎやかだ。ウメモドキ、カマツカ、それにコマユミなど。探せばもっとあるかもしれない。まずは、コマユミを紹介する。これはニシキギに良く似ているが、枝に板状の翼がない。花は、小さな緑色で、よく見れば可愛いのだけど、えらく地味である。木も低木で、葉っぱもどうということの無い平凡な形をしている。ところが、この木は、今頃の時期から、自分を強くアピールする。まずは、種子からで、熟すと裂開して、橙色の仮種皮が割れ、その中から鮮やかな橙赤色の種子が現れる。まだ緑色を残した葉をつけた小枝に、たくさんの赤い種子がぶら下がると、やっと、この木の美しさに気が付く。もう少し秋が深まると、今度は紅葉して、木全体が真っ赤に染まる。コマユミは、晩年になって、自分の身をあでやかに飾り立てる。
 

2010年11月3日

森の紅葉



 筑波山で自然インストラクター養成講座があった。T先生から筑波山の土壌に関するとても興味深い内容の講義を受けた。また一つ、筑波山の自然についての知識を深めることができた。
 試薬を使っての実験の最中、ふと空を見上げると、シラキの黄葉が目に飛び込んできた。広く薄い葉を透かした太陽の光が実に美しい。となりでは、紅葉の始まったばかりのブナやイヌブナの葉が、秋の日差しを浴びて輝いていた。これからの森は、一年で最も華やかな季節を迎える。

2010年11月1日

オリーブが初めて実った


 流山の自宅に帰ったら、玄関先に置いてあるオリーブの鉢に、青い果実が一個だけ実っているのを見つけた。これは、2年半前に、僕が退社したときに、女子職員から贈られた木である。あの時は、2つの植木鉢を抱きかかえて持ち帰れたほどの幼木だったが、今では僕の背丈を越える大きさまで育った。今年の夏は猛暑で、山小屋から帰ったら鉢がカラカラに乾いて葉がしおれていたこともあったが、その後すっかり持ち直し、こうして初めて実を結んでくれた。ものすごく嬉しい。今では、自分がサラリーマンだったことが、はるか何十年も昔の事にように思える。この木は、その証拠のようなものだ。

2010年10月31日

秋蛍


 先日、このブログに書いたクロマドボタルは、別名で「秋蛍」と呼ばれるらしい。なかなか、情緒ある名前である。今夜も、庭で幾匹もが光っていた。昨日からの台風の雨で地面が濡れて、彼らの餌となる陸生貝類がたくさんいるのだろう。光の点をたどって、ようやく一匹を捕まえたので、さっそく記念撮影した。明るい光の下で見ると、そのしゃれた別名とは、ほど遠いグロテスクな姿をしている。
(写真はクリックすると大きくなります)

2010年10月28日

サラダ菜


 山小屋生活では食事に気を使っている。粗食でも、栄養バランスだけは、十分に考えたい。そこで、食べたいときに何時でもつまんでサラダにできるように、植木鉢に「ベビーサラダ・ミックス」の種を蒔いた。それから1ヶ月ぐらい過ぎて、いかにも美味しそうに育った。でも、野菜の葉が、あまりに奇麗なので、見とれているばかりで、なかなか食べられない。


2010年10月25日

土ボタル

 今日は、朝から一日中、雨が降ったりやんだり。先ほど、すっかり暗くなった庭に出たら、ぐっしょり濡れている夏椿の葉が顔に触れてひやっと冷たい。そろそろ暖房の用意をしなかればなどと考えていたら、足下の地面が、小さく光っている。一つ見つけると、あちこちで見つかる。クロマドボタルだ。この蛍は、夜になると餌の陸生の貝類や小動物、樹液などを求めて光りながら地面を這い回る。雌は羽が退化して飛ぶこと無く、人里近くの茂みや林道の草地で一生を過ごす。寒さの厳しい12月から2月までの間を除いていつでも活動しているようだ。特に、私のところには、たくさん生息していて、夜、イヌの散歩をする村人から不思議に思われている。きっと、僕が除草剤や農薬をいっさい使わないから、餌となる小動物がたくさんいるのだろう。
まだ、カメラにおさめる自信が無いから、今回は文章だけ。


2010年10月21日

ソバの花


 ソバの生育の速さには驚いた。先月の中旬に、A氏からいただいたソバの種をバジル畑の周りに蒔いておいたら、もう花が咲いて、実を結び始めている。これなら、「今年は不作だ!」と思って、あわてて種まきしても、冬が来るまでには収穫できるだろう。ソバが救荒作物として重宝された所以である。それに蒔いて5日もすれば発芽して、みるみる間に生長して茂り、雑草が繁茂する隙を与えないから、僕みたいな無精者には、うってつけの作物である。今年は、ほんの一握りだったが、収穫して来年はそれを蒔き、次々と畑を拡大するのだ。そうすれば、2、3年後には、完全自家製の蕎麦が打てるかもしれない。楽しみだ!

2010年10月18日

猫玉

 ピーのやつ、午後7時を過ぎると、いつも僕の長椅子の上で丸くなって眠る。熟睡していて、少しぐらいちょっかい出しても起きることはない。電球の明かりがまぶしいのか、顔を前足で覆っている。その様子が、実に可愛い。人間よりずっと野生に近いはずの動物が、こうして安心しきって眠っている姿を眺めていると、それだけで心が癒される。この小さくてか弱い生きものに信頼されているかと思うと、嬉しくなってくる。

 今、久保俊治の『熊撃ち』(小学館2009.4)を読んでいる。北海道で40年間も狩猟生活を行ってきた著者のドキュメンタリーである。僕は、これまで「罪の無い動物を殺して」生活している者に対して批判的であったが、読んでいるうちに少し考えが変わってきた。毎日のように食卓に上る「お肉」を、どこの誰がどんな風に動物を殺して得ているか全く知らないでいるほうが、よほど命を軽んじているのではないかと思うからである。雪深い森の中で、3日間も手負いのシカを追ったあげく、ついに銃でしとめ、その腹をナイフで裂き、その腹腔に凍えてかじかんだ両手を潜り込ませて温める。そこには、シカとの壮絶な命の戦いがある。著者は言う、「あのシカが生きていた価値、生きようと努力した価値は、そこから恩恵を得た私が誰よりもわかり得るのではないか」と。先日読んだ赤坂憲雄が、自然保護の原点であり、持続可能な社会を築くためのヒントは、縄文人や狩猟で生活している人々の思想にあるのではないかと言っていた意味が、少し解ったような気がする。
- いつの間にか、ピーの寝姿からとんだ方向へ脱線してしまったようだ -


2010年10月17日

アケビ


 前回のブログで書いたアケビの実が、パックリと割れて中身がのぞいている。種子の周りの白い果肉を口に含んだら、アケビってこんなに甘かったかなと思うほど甘い。これでは、きっと、昔の山の子供たちにとって最上等のお菓子だったのにちがいない。じっくり味わった後、ペッペッとたくさんの黒い種子を吐き出した。明日になったら、この種子を庭のあちこちに蒔き散らすつもりだ。やがて、そのうちのいくつかが大きく育って、甘い実をたくさんつけてくれるだろう。

2010年10月12日

サワフタギの実




 一週間続いた「筑波山の自然展」の仕事も終わって、のんびりした一日を過ごしている。志筑の「hanana」でピザの昼食をとった後、山小屋に戻った。今朝、小屋を出たきり姿を見せなかった猫のピーが、出迎えてくれた。二人(一人と一匹)して庭を見て回ると、少しばかり深まった秋をいたる所で見つけた。
 入り口の脇では、サワフタギ(別名 ルリミノウシコロシ)が、きれいな藍色の実をたくさんつけていた。これまで、秋になるとお隣のこの木に沢山の実がついているのがうらやましかったが、今年から僕のところでも実るようになったのだ。そのサワフタギの株をのぞいたら、株の中にアケビの実がぶら下がっているのを見つけた。採って食べるのには、まだ少し早そうだ。熟して皮が裂けるまで待っていても、この中なら誰にも見つからないだろう。サワフタギの足下には、白い野菊が一面に咲いていた。キク科の種類を同定するのは難しい。花を一本引き抜いて小屋に持ち帰り、図鑑であれこれ調べたが、確定するのに難儀する。冠毛が有るの無いの、葉っぱの切れ込みがどうの・・・。結局、ただのヨメナだと思うが、もしかするとユウガキクかもしれない。やっぱり難しい。でも、楽しい。

2010年10月3日

朝霧


 昨日の明け方、午前5時15分。まだ薄暗い。いつものようにピーに起こされて、外に出てみると、谷に朝霧が満ちている。こんなことは、今年になって初めてだ。もしかすると、あの幻想的な山根盆地の朝霧が見られるかもしれないと思い、すぐに、小屋に引き返して、カメラを持って、近くの高台まで車を走らせた。まだ、気温が高すぎるのだろう。確かに、霧が湧いて盆地の底を覆っているが、層が薄くて、日が昇るとすぐに消えた。これから、秋が深まのが楽しみである。今年こそは、盆地全体が霧の海に沈んで山の頂だけが島のように浮かんでいる光景を撮影するつもりだ。期待していて欲しい。  ・・・な〜んて、勇ましいことを言えるのは、まだ、早朝がそれほど寒くないからか。(写真をクリックすると大きくなります)

2010年9月29日

西光院にて

来月から始まる「筑波山の自然展」の現地打ち合わせに、朝からでかけた。その帰り、ふと、峰寺西光院に寄りたくなった。ここは天台宗の古刹だ。山の中腹の崖上に懸崖造りの本堂があって、眼下に八郷の南半分が眺められる。平日の午後なので、誰もいない。聞こえるのは、森の木々を渡る風と鳥たちの鳴き交わす声だけ。開けた空には、雲が足早に流れてゆく。本堂の前で柱を背にして座り、盆地を曲がりくねって流れる川筋とその両側に広がる稲田を目で追ったり、山小屋のある山腹や顔見知りの集落と道路を探した。「あの山並みの向こうには広々と関東平野が続いていて、そこではいろいろあったな〜」などと感慨に耽っていたら、そのうちに、だんだん眠くなってきた。いつの間にか、居眠りしたのだろう。風が近くにある椎の枝を揺らす音で、はっと目が覚めた。何か夢を見ていたようだが思い出せない。でも、すっかり落ち着いて、静穏な満ち足りた気分になっていた。これからも、気持ちがざわめくときは、ここに来て座ろうと思う。


2010年9月28日

さよなら!流山の林よ。


流山の自宅で朝寝坊していたら、前の林の方から大きな音が聞こえる。とうとう、宅地開発が始まったようだ。窓から見たら、大きなフォークリフトが林に入って、木を倒している。みるみる間に、コブシの大木を根こそぎにした。この木は、真っ白な花をたくさん咲かせて他のどの木よりも春の到来を知らせてくれた。重機は、隣のヤマザクラにも手をかけた。ギギー、バリバリと悲鳴が聞こえる。林が消えてゆくのを見届けてやろうと、しばらくその様子を見ていたが、寂しくなってきてカーテンを閉めた。この林は、まだ僕が若かった頃、幼い息子と妻との三人で、この地に家を建てた時からあって、植物の好きな僕は大喜びした。この林があったから、この地に越してきたようなものだ。それから、ずっと30年間、家族は林と一緒に生活してきた。いつでも、家の窓には、林の緑の影がうっすらと映っていた。朝になると、林に棲む小鳥の鳴き声で目が覚めた。小さい頃の息子の遊び場だった。仕事で疲れたとき、この林にどんなに慰められたことか。
それが、今日かぎりで消滅するのだ。さよなら、林の木々よ!

2010年9月25日

庭の栗が笑う


 今月に入っていろいろあって、ブログを書く気になれなかったが、もう大丈夫だ。
 台風12号が去った午後からは、澄んだ秋空になった。久しぶりに、ピーと庭を見てまわったら、栗がたわわに実を付けていた。この木は、6年前に友人のF氏が遊びにきたときに植えたものだ。一度は、主幹を鉄砲虫に食われて途中から倒れてしまったが、脇芽が伸びて大きく育った。でも、こんなに実を付けたのは今年が初めてだ。それも、大粒のつやつやした実。イガだけのがいくつも枝に残っているから、昨夜の風で中身は落ちたようだ。枝の下を探したが見当たらない。さっそくネズミの餌になったのだろう。しかし、まだまだ、僕一人では、とても食べきれないほど付いている。つい先週まで、暑い暑いと言っていたが、いつの間にか、もう栗の季節になったのだ。

2010年8月31日

大失敗

 ふと、「新設したばかりのMacの大画面でBSの美しい画面がみられたらどんなに素晴らしいだろう」なんて思ったのが失敗の始まりだった。先日、量販店をのぞいたら、手頃な価格でチューナーとアンテナが置いてあるではないか。さっそく購入した。そのときはデジタルの受信には、いろいろ周辺環境を考慮する必要があるなんて少しも考えなかった。適当に空に向ければ受信できるだろうぐらいに思っていた。
 ところが、いざ、庇や庭で少しでも電波の届きそうな場所を変えてアンテナを設置してみたものの、どうしても受信レベルが「0」のままで、何一つ映りそうもない。今日も一日、猛暑の中でテストしたが駄目だった。疲れた。もう、半分あきらめ気分である。この土地は周囲が山と森に囲まれているので、VHSはもちろんBS、CS、それに地デジも駄目なようだ。
 そもそも、この山小屋でテレビを見ようなんて考えたのが間違いだったのだ。せっかく、静かな生活を求めて山小屋に来たのに、テレビを見ようなんて思ったのが不純だったのだ。今回の失敗で十分に思い知らされた。深く反省。(それにしても新品のチューナーとアンテナがもったいないな〜)

2010年8月27日

Twitterの実験

 会う人ごとに「暑いですね」と言っているが、今夜、山小屋に戻ったら庭の虫たちが、今までになく一斉に鳴いている。やはり、秋はそろそろとゆっくり近づきつつあるようだ。

 秋の夜長を退屈しないために、今更ながら僕も Twitter を始めた。はじめは、つまらないと思ったが、解り始めたら面白くて便利だ。田舎の山小屋から、世界に向かって「ブツブツ」言ったり、誰かのを聞いたりしているかと思うと、たいへんな時代に生きていることを実感する。
 僕のユーザー名は、@ramunospie 。誰か退屈で死にそうな方は、「フォロー」のほどを!

2010年8月18日

風涼み


 まだまだ暑い日が続いている。こんな日は、小屋の入り口に行って、ぼんやり周囲の山々や田んぼを眺めているのに限る。すでに、僕専用の丸太の椅子も置いてある。ここは背後からは山肌の地面や木々に冷やされた空気が山道に沿って流れ落ちてくるし、前面からは筑波山からの風が尾根伝いに吹いてくる。そう、この椅子のある場所は、風の交差点なのだ。風の無い日でも、ここにくれば、必ずわずかでも風が吹いている。早朝と夕方には、生まれたばかりの新鮮な冷えた空気を感じる。ピーもお気に入りの場所で、二人でおしゃべりしながら涼むのがこの頃の日課となっている。


サルスベリの花


 花の少ない今頃の季節、サルスベリだけが目立っている。この花は、「夏祭り」という名前の園芸種で、濃いピンクのふちを白のフリルで飾った華やかな花弁である。小さな女の子たちが、着飾って夏祭りを楽しんでいるようでとても可愛い。ネーミングが秀逸である。
 隣では、オミナエシが一株、ひっそりと咲いていた。


2010年8月13日

ミズキの若い実


 昨日のブログの坂道に、今度はミズキの実がついた枝が落ちていた。まだ、半面がやっと色づいた程度の若い実である。半径30m内には、ミズキは生えていない。誰が落としたのだろうか?ヒヨドリにしては枝が大きすぎる。するとカラスかもしれない。きっと、カラスが食べようとしてミズキの枝を折ってここまで運んだが、美味しそうに熟しているウワミズザクラを見つけて捨てたのに違いない。それにしても、カラスがこんな樹木の実を食べるかな?やっぱり、ヒヨドリの仕業かな?謎である。


2010年8月12日

台風の風が吹いて



 台風4号の余波で朝から雨粒が混じった強い風が吹いている。庭のテーブルに上に置いてあるイワオモダカの葉に、小さな雨蛙が乗っているのを見つけた。葉のくぼみの形といい、色合いといい、ずいぶんうまいところを探したものだと感心して、写真を撮らせてもらった。(写真をクリックすると大きくなります)
 
 小屋の入り口のコンクリート道の上にウワミズザクラの熟した果実が、たくさん落ちていた。昨夜からの風で、ヒヨドリたちに食べられる前に落ちてしまったのだろう。この実は杏仁子(あんにんご)とよんで、人間も若い実を塩漬けにしたり、熟した果実を果実酒にして食べる。拾って口に入れたが、うすら甘いだけで別にどうという味ではなかった。

2010年8月8日

ブルーベリーとトマトの朝食


朝食にトマトを食べようと思い立って庭の畑に向かったら、途中にあるブルーベリーにたくさんの実が付いているを見つけた。そうだ、今朝の食事は、トマトとブルーベリーとコーヒーだけにしよう。

隣の杉林の中にある小さなお墓で声がする。木の間ごしにのぞいたら、おばあちゃんとお嫁さんらしい若い女性が掃除していた。間もなくお盆がくるのだ。さっそく挨拶して、ここは美して静かなよい所だとか、どことどこが親戚だとか、この暑さで田んぼが水不足になるとかの世間話をした。



2010年8月7日

立秋の夕暮れ


ずっと毎日、強い日差の暑い日が続いたが、この2、3日前から、風や空の色に秋を感じるようになったと思ったら、今日は立秋だそうだ。自然は正直である。夕方、小屋の外があまりに気持ちのよさそうなので、ピーと入口の坂を降りていった。ここは、夕方になると空気が山肌の地面に冷やされて水のように流れ落ちてくる場所である。いつでも涼しい風を感じる。これからすっかり日が暮れるまで、僕専用の椅子に座って夕涼みだ。
夕焼けの明るさを背景にして、筑波山がシルエットとなって浮かんでいる。中腹のホテルと風返し峠の明かりが見える。里の家々の明かりも灯りだした。まだ、遠くから草刈り機のエンジン音がかすかに聞こえる。こんな静かな夕暮れのひとときは、一日のうちで一番好きな時間だ。


2010年8月2日

いたずらピー


 ピーは、プリンターによほど興味を持ったようだ。ゴトゴト音を立てながら、ひとりでに紙が動いて投入口から吸い込まれたと思ったら、ちがうところから吐き出されてくるのが、何か得体の知れない生き物のように見えるのかもしれない。
 明日使う資料を作ろうと、夕方からパソコンに向かい、ようやく出来上がったので、いざ印刷しようとしたら、ピーのやつ、どこからかやってきて邪魔を始めた。プリンターに飛びかかり、吸い込まれていく紙に爪を立てて止めようとしたり、排出口に待ち伏せして出てくる紙に噛み付く。こんな調子だから、資料はクシャクシャ、ビリビリである。まったく仕事にならない。印刷するのをあきらめたら、今度はプリンターの空き箱に入って遊んでいる。ときどき、蓋の隙間からのぞいて僕の様子をうかがっている。こんな悪戯猫に育てた覚えはないのだが。

2010年7月30日

緑の光の中で


 最近、どういう訳か、調査などで連続して筑波山に登っても疲れが残らなくなった。身体を酷使しているはずなのに、翌日になって足が重いなんてことはまったく無くなった。先日の健康診断でも、すべての検査項目が健康状態を示しており、以前から少し高めだった血圧も正常値に戻った。それは、僕がいつでも緑の光の中で生活しているからかもしれない。
 先週のブナ調査の際に、同僚のFさんが、私たちはいつも緑の反射光を浴びて生活しており、それに目と脳が慣れてしまっているから気が付かないだけなのだと話していた。そういえば、僕などは、日中のほとんどの時間、ずっと植物の緑の光の中で暮らしている。小屋にいるときは、周囲の樹木が反射した光が四方の窓から注いでいるし、もちろん、仕事で筑波山の山中にいるときは、全身が緑の光に包まれている。人類が誕生してから数百万年の間、いや動物が発生してからずっと今日まで、私たち人間は、この緑の光に包まれて生きてきたのだ。だから、この緑の光が、精神を癒したり、身体の機能を正常に保つのに何らかの役割を持っていることは十分考えられる。
 僕などは、もう、この緑の光が無いところでは生きていけない体質になっているのかもしれない(笑)。


土地との出会い

 流山の自宅に帰ってパソコンで遊んでいたら、古いフォルダーの中から数年前に書いた文章が見つかった。現在、山小屋がある土地と出会ったときのことなので、このブログにアップしておこうと思う。


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今になっては現実か想像なのか区別が付かないが、遠い昔、高校の図書室で、茨城県中部に「かくれ里」伝説があったという記事を読んだような気がする。

 何でも中世の戦乱の世に、心身ともに傷つき疲れ果てた武士が、小さな盆地の山里に迷い込んだ。そこは周囲の山々から集まった水が、田畑を潤して豊かな恵みをもたらし、季節ともなれば、ウメ、サクラ、モモの花々で谷が埋まった。盆地の真ん中にある寺院を囲むようにして、人々は平和で豊かな生活を営んでいた。武士は、この美しい里がすっかり気に入って、この地に留まり、素朴で心豊かな人々に囲まれて暮らしている間に、次第に身も心も癒されていった。しかし、時を経て回復するにつれて、国に残してきた妻子のことが気がかりになってきた。ついに、ある日、いつまでも住み続けたいという気持ちを振り切って、この地を後にした。その後、故郷に戻って家族と再会し、長い間、安穏に過ごしていたが、いつになっても美しい山里のことが忘れられず、再び訪れようと決心した。かすかな記憶をたよりに山々を彷徨ったが、どうしても里の在処が判らず、二度と足を踏み入れることが出来なかったという話である。

 私は「かくれ里」伝説を信じている訳ではないが、このような美しくて儚い伝説が誕生するような土地が必ずあったはずだと思い、数年前から、歴史と文化の豊かな小盆地を求めて、笠間、岩間、志筑、そして八郷などを歩き回った。こうした山里放浪の過程で出会ったのが、八郷の地である。筑波山は裾野を東の霞が浦方面と北の鶏足山地方面にのばしている。その東方向に伸びた山裾に挟まれた谷間の一つに椿谷がある。一目見て、ここがすっかり気に入った私は、昨年、地元の人に懇願して約2反歩の土地を分けてもらった。ここは、10年ほど前まで牧草地であったところで、樹木は切り払われておりススキ、ササ、葛、キクイモ、セイタカアワダチソウ、カナムグラ等の繁茂する原野になっていた。南正面は、穏やかな上り斜面が扇状に広がり、突端の境はちょっとした崖で終わっている。北側は、急な斜面の下に田畑と人家がまばらに点在するのどかな山里の風景が望める。東側はクヌギ、イヌシデ、ヤマザクラ、ウワミズザクラなどの雑木で縁取られ、西側にはヒノキ、スギの薄暗い針葉樹林が迫っている。

 それ以来、私は、休日の度にこの地に通い、草を刈り、雑木を植え、小屋を建て、土地の人々とも親しく交流してきた。そうこうするうちに、次第に、この谷間の人々の暮らしぶりや奥深く秘めている古い歴史、そして周囲の豊かな自然が少しずつ見えてきた。


 春の黄昏時、小屋の窓枠に頬杖をついて、向かいの山肌にヤマザクラの花がほんのりと白く浮かんでいるのをぼんやり眺めているとき、満月の晩に、地面の土に混じった雲母の破片がキラリと光るのを見つけたときなど、「もしかしたら、ここが、私が探していたかくれ里なかもしれない」と、ふっと思うことがある。


2010年7月28日

ハスが咲いた


 注文しておいたテインシャが届いた。表面には、観音菩薩のマントラである「OM MANI PADME HUM」が、チベット語で書かれている。「蓮の花の中の宝」という意味だ。これに合わせたかのように、庭の花ハスが咲いた。3年前から瀬戸物のハス鉢で育てていたのだが、これまで葉は茂っても咲くことは無かった。今年の春から日当りの良い場所に移したのがよかったのだろう。これぞまさに吉祥である。めでたし!めでたし!

 

2010年7月25日

いま、猛烈な雷が

 今、ものすごい雷が小屋を襲っている。こんな迫力のある雷は何年ぶりだろう。雷鳴で小屋の壁がビリビリ震えている。時々、庭の木に落ちたのかと思うような音が頭上で炸裂する。ピーは、すっかり怯えて、どこか部屋の隙間に逃げ込んで出てこない。彼にとっては初めての体験なのだ。電気も消えたり点いたり。ロウソクを燈したら、遠い昔の子供の頃を思い出して、何だか楽しくなってきた。
 それにしても、アマガエルはのんきなものである。ドアのガラス枠にどっかりと座って、平然と飛んでくる虫を捕まえては食べている。

 ・・・・・ ここまで書いて、車のドアが閉まっているかが心配になった。でも、もう遅いか。遠くでサイレンが聞こえる。雷が落ちたのだろうか。

2010年7月24日

プチトマトが豊作



 最近のブログに野菜畑の話が出ないから、今年もまた夏草に負けて失敗したのに違いないと思われてはいけないので、いかに、今年の野菜畑が成功したかを示す写真をアップすることにした。みどりの日の博物館バザーで買って来たプチトマトが、見事に育って、毎日たくさんの果実が収穫できる。こんな事は初めてである。成功の理由は、しっかりした苗を植えて、その後、こまめに腋芽を摘み取ったのが良かったようだ。誰でも、自分の畑で収穫した野菜は美味しいというが、ほんと、このトマトは瑞々しくて、味が濃くて、甘くて、実に美味い。決して、思い込みではありません。いまも、冷蔵庫で冷やしたトマトをつまみながら書いています。


2010年7月19日

ヤマユリが咲いた


 暑い!各地で35度を超えたようだ。梅雨も終わって、強い日差しが照りつけている。そんな中、小屋の北斜面の藪の中にヤマユリが咲いた。今年は、3輪も大きな花をつけている。「こんな見事な花を咲かせたのだから見て欲しい!」と言わんばかりに、辺りに濃密な香りを漂わせている。ヤマユリは、野生の草花の中では抜きん出て大きくて美しい花を咲かす。藪の中では、白い花被と赤い葯が実に良く目立つ。つい、花の少ないこの季節、これまで頑張らなくてもよさそうなものをと思ってしまう。

2010年7月16日

トンボを眺めながら



雲間から澄んだ青空がのぞいて、時折、強い日しが差し込む。もう、梅雨は終わるのだろうか?そうなら嬉しい。もう、鬱陶しい雨には飽きた。でも、この雨が植物や昆虫にとっては、恵みの雨なんだろう。庭の植物たちは、旺盛に新しい枝を伸ばして、瑞々しい葉を思い切り空に向かって広げている。その新葉や枝を、様々な昆虫たちがムシャムシャ食べたり、樹液を吸っている。 
現在の庭はまさにジャングル状態であるが、見慣れたらあまり気にならなくなった。神経質に草を取ったり、殺虫剤を撒き散らして、あらゆる虫を消滅させるくらいなら、今のジャングル状態の方が、よほど快適である。いろいろな植物や昆虫を発見できるし、彼らが競い合って生きていると思えば、けっこう面白いではないか。
今朝も、食事をしていたら、目の前の笹の葉に、アキアカネ?が止っていた。じっと休んでいるのかと思ったら、突然、ジャンプするように飛び上がり、また元の場所に戻る。どうやら、彼は空中の蚊か何かを捕まえているらしい。良く見ると、あちこちの枝先に、いろいろな種類のトンボが止っている。おかげで、山小屋は意外なほど蚊が少ない。これも、彼らのおかげなのだろう。
トンボを見ながら、食事をしていたら、いつの間にか1時間が過ぎた。

2010年7月12日

ノコギリクワガタが頭に止る

困ったことに、近頃、ピーのやつ夜遊びが習慣になったようだ。夕方、しばらく僕と遊んだ後、フイといなくなって、午後9時ごろまで帰ってこない。以前のようには心配しなくなったが、アイツが小屋に戻るまでドアや窓を閉められない。
8時になったので、表に出て大きな声で呼んだ。すると、ピーは現れなかったが、何か虫のようなものが暗闇から飛んできて僕の髪の毛に止った。捕まえてみると、ノコギリクワガタの雄だった。いよいよ本格的な夏が到来したようだ。

それにしても、ピーのやつ夕食も食べないで何処を歩き回っているのだろうか?まだ、帰ってこない。

2010年7月11日

ノリウツギ


今頃の庭で咲いているのは、アジサイの仲間ぐらいだ。小雨の中を見て回ったら、ノリウツギが咲いていた。葉を茂らせた木々の間で、円錐状の白い花がよく目立つ。僕の好きな木のひとつである。昔は、樹皮の内側の粘液を製紙用の糊に使ったそうだ。名前はそこから来ている。原田康子の小説で有名な「サビタ」もこの木である。アイヌにとって、この木は薬草や生活道具の素材として身近だったようだ。