現実の生活でも、どうしたら、このような心境になれて、ずっと持続できるのだろうか?
2010年12月29日
夢の気持ち
現実の生活でも、どうしたら、このような心境になれて、ずっと持続できるのだろうか?
2010年12月27日
森のボランティア
写真は、先週の日曜日に石岡で「ジオアート」のY氏が開催したイベントで、僕が初めて作ったクズの編みカゴに、森で見つけたサルトリイバラの果実を入れたもの。カゴと真っ赤な果実が、あまりに調和していたので、参加したTさんご夫婦にセットで差し上げた。
2010年12月24日
菖蒲沢への散歩
2010年12月22日
「100年前の女の子」
僕は、先週自宅に帰った際に買ってきた船曵由美著の「100年前の女の子」(講談社 2010年)を、先ほど読み終えた。これは著者の母親が、100年前に栃木県足利の田舎で生まれ少女時代を過ごした記録である。北関東の四季おりおりの農村の暮らしや人々の風俗、それらを優しく包む自然と動物との交流、そして幼くして養女に出された時の辛くて哀しい思い出などが、平易な言葉で詩情豊かに綴られている。僕も、その近くの館林に生まれた。読んでいて、何度も遠い昔の出来事や、もうこの世にいない人々を思い出して、目頭を熱くした。どこかの書評に「新しい遠野物語の誕生」とあったが、本当にそう思う。それにしても、昔の生活は厳しくて貧しかったが、何と精神的に豊かだったのだろう。この本を読んで、私たちは、この100年間に何を得て何を失ったのかを考えさせられた。
2010年12月19日
霜の朝
(写真をクリックすると氷の粒が見えます)
2010年12月14日
落葉した庭
ピーのやつ、この2、3日、変な鳴き声になっている。風邪でも引いたのだろうか。それとも変声期なのだろうか。(猫に変声期ってあるのかな?)今朝は、カエルを踏みつぶしたような声で僕を起こした。大笑いしながら、「お前がカエルをいじめるからこんな声になったのだ」、「謝らなければ、元に戻らないよ」と言い聞かせてやった。
2010年12月3日
小屋の新しい仲間
「しが」さんへの訪問は、とても印象的な体験だった。「しが」さんご自身とさまざまな作品群、それらが生まれた工房や家、そして、これらを静かに包み込んでいる周囲の森の木々、澄んだ空気・・・すべてが一つに美しく調和して、「しが」さんの独特な世界を創っていた。まるで魔法にかけられたような晩秋の一日だった。
2010年12月1日
薪の置場を作る
僕が薪置場を夢中で作っていたら、先ほどまで周りをうろちょろして邪魔していたピーの姿が無い。また、遠くに遊びに行ったのだろうと思っていたら、近くのコナラの落葉の上で、気持ち良さそうに居眠りをしていた。僕も、一応、置場は完成したし、指を金槌で叩いてしまったし、この辺で休憩したくなった。そこで山向こうの「カフェ・ポステン」へ行くことにした。途中の不動峠の山道は、落葉を一面に敷き詰めたよう。それを、農家のおばさんが、かき集めて大きな袋に入れていた。堆肥にでもするのだろう。林の所々にあるカエデに午後の陽が当たって真っ赤に光っている。やはり、峠を越えてきた甲斐があった。コーヒーが実に美味い。疲れた身体に染み込んでいく。
2010年11月28日
困った!デザインが元に戻らない
2010年11月24日
黄葉のウリカエデ
2010年11月23日
僕は猫を二匹飼っていたらしい
益子へコーヒーを飲みに
今日一日は実に長かった。しかも、変化に富んでいて充実していた。まずは、つくば市の六所で、地元の住民から炭焼きで生活していた頃の話(後日、詳しく書くつもり)を聞いた後、まっすぐ、栃木県の益子に向かった。久しぶりにSTERNETのコーヒーが飲みたくなったのだ。相変わらず、このカフェはカッコいい。コンセプト、デザイン、そして周囲の環境などを総合したら、関東でも(たぶん日本でも)トップクラスだろう。オーナーのBさんやスタッフたちと、初めてこの店を訪れた頃のことを楽しく話した。こんど東京に店を出すという。
2010年11月22日
カップにドロバチの巣が
志賀さんとお会いしたので、もしかするとこれも「しが」さんの作品かなと思って、しばらくの間使っていなかったコーヒーカップを取り出した。すると、驚いた! カップの底にドロバチの立派な巣があるではないか。蜂は、いつの間にか僕の知らないうちに、せっせと台所の棚の奥に置いたカップの中まで土を運んで巣を建設していたのだ。見ると、出て行った穴がある。彼女は、この中に卵を産み、青虫などを運んで幼虫を育てあげ、親子共々去ったのだろうか。それにしても、ずいぶん変なところに巣を作ったものだ。でも、今年の夏の間、同じ部屋で一緒に生活していたかと思うとちょっぴり微笑ましい。(写真をクリックすると大きくなります。ただし虫が苦手な人はご遠慮ください)
「しが」さんの皿
2010年11月19日
散歩
2010年11月16日
ナツツバキに光があたって
2010年11月15日
カマツカ
2010年11月12日
西側から見た小屋
2010年11月9日
ノウサギの子供
2010年11月8日
木々が色着き始めた
2010年11月5日
コマユミの秋
今、庭では、あちこちの赤い実でにぎやかだ。ウメモドキ、カマツカ、それにコマユミなど。探せばもっとあるかもしれない。まずは、コマユミを紹介する。これはニシキギに良く似ているが、枝に板状の翼がない。花は、小さな緑色で、よく見れば可愛いのだけど、えらく地味である。木も低木で、葉っぱもどうということの無い平凡な形をしている。ところが、この木は、今頃の時期から、自分を強くアピールする。まずは、種子からで、熟すと裂開して、橙色の仮種皮が割れ、その中から鮮やかな橙赤色の種子が現れる。まだ緑色を残した葉をつけた小枝に、たくさんの赤い種子がぶら下がると、やっと、この木の美しさに気が付く。もう少し秋が深まると、今度は紅葉して、木全体が真っ赤に染まる。コマユミは、晩年になって、自分の身をあでやかに飾り立てる。
2010年11月3日
森の紅葉
2010年11月1日
オリーブが初めて実った
2010年10月31日
秋蛍
2010年10月28日
サラダ菜
2010年10月25日
土ボタル
2010年10月21日
ソバの花
2010年10月18日
猫玉
2010年10月17日
アケビ
2010年10月12日
サワフタギの実
一週間続いた「筑波山の自然展」の仕事も終わって、のんびりした一日を過ごしている。志筑の「hanana」でピザの昼食をとった後、山小屋に戻った。今朝、小屋を出たきり姿を見せなかった猫のピーが、出迎えてくれた。二人(一人と一匹)して庭を見て回ると、少しばかり深まった秋をいたる所で見つけた。
2010年10月3日
朝霧
昨日の明け方、午前5時15分。まだ薄暗い。いつものようにピーに起こされて、外に出てみると、谷に朝霧が満ちている。こんなことは、今年になって初めてだ。もしかすると、あの幻想的な山根盆地の朝霧が見られるかもしれないと思い、すぐに、小屋に引き返して、カメラを持って、近くの高台まで車を走らせた。まだ、気温が高すぎるのだろう。確かに、霧が湧いて盆地の底を覆っているが、層が薄くて、日が昇るとすぐに消えた。これから、秋が深まのが楽しみである。今年こそは、盆地全体が霧の海に沈んで山の頂だけが島のように浮かんでいる光景を撮影するつもりだ。期待していて欲しい。 ・・・な〜んて、勇ましいことを言えるのは、まだ、早朝がそれほど寒くないからか。(写真をクリックすると大きくなります)
2010年9月29日
西光院にて
来月から始まる「筑波山の自然展」の現地打ち合わせに、朝からでかけた。その帰り、ふと、峰寺西光院に寄りたくなった。ここは天台宗の古刹だ。山の中腹の崖上に懸崖造りの本堂があって、眼下に八郷の南半分が眺められる。平日の午後なので、誰もいない。聞こえるのは、森の木々を渡る風と鳥たちの鳴き交わす声だけ。開けた空には、雲が足早に流れてゆく。本堂の前で柱を背にして座り、盆地を曲がりくねって流れる川筋とその両側に広がる稲田を目で追ったり、山小屋のある山腹や顔見知りの集落と道路を探した。「あの山並みの向こうには広々と関東平野が続いていて、そこではいろいろあったな〜」などと感慨に耽っていたら、そのうちに、だんだん眠くなってきた。いつの間にか、居眠りしたのだろう。風が近くにある椎の枝を揺らす音で、はっと目が覚めた。何か夢を見ていたようだが思い出せない。でも、すっかり落ち着いて、静穏な満ち足りた気分になっていた。これからも、気持ちがざわめくときは、ここに来て座ろうと思う。
2010年9月28日
さよなら!流山の林よ。
2010年9月25日
庭の栗が笑う
今月に入っていろいろあって、ブログを書く気になれなかったが、もう大丈夫だ。
2010年8月31日
大失敗
2010年8月27日
Twitterの実験
2010年8月18日
風涼み
サルスベリの花
2010年8月13日
ミズキの若い実
2010年8月12日
台風の風が吹いて
台風4号の余波で朝から雨粒が混じった強い風が吹いている。庭のテーブルに上に置いてあるイワオモダカの葉に、小さな雨蛙が乗っているのを見つけた。葉のくぼみの形といい、色合いといい、ずいぶんうまいところを探したものだと感心して、写真を撮らせてもらった。(写真をクリックすると大きくなります)
2010年8月8日
ブルーベリーとトマトの朝食
2010年8月7日
立秋の夕暮れ
2010年8月2日
いたずらピー
ピーは、プリンターによほど興味を持ったようだ。ゴトゴト音を立てながら、ひとりでに紙が動いて投入口から吸い込まれたと思ったら、ちがうところから吐き出されてくるのが、何か得体の知れない生き物のように見えるのかもしれない。
2010年7月30日
緑の光の中で
最近、どういう訳か、調査などで連続して筑波山に登っても疲れが残らなくなった。身体を酷使しているはずなのに、翌日になって足が重いなんてことはまったく無くなった。先日の健康診断でも、すべての検査項目が健康状態を示しており、以前から少し高めだった血圧も正常値に戻った。それは、僕がいつでも緑の光の中で生活しているからかもしれない。
土地との出会い
流山の自宅に帰ってパソコンで遊んでいたら、古いフォルダーの中から数年前に書いた文章が見つかった。現在、山小屋がある土地と出会ったときのことなので、このブログにアップしておこうと思う。
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今になっては現実か想像なのか区別が付かないが、遠い昔、高校の図書室で、茨城県中部に「かくれ里」伝説があったという記事を読んだような気がする。
何でも中世の戦乱の世に、心身ともに傷つき疲れ果てた武士が、小さな盆地の山里に迷い込んだ。そこは周囲の山々から集まった水が、田畑を潤して豊かな恵みをもたらし、季節ともなれば、ウメ、サクラ、モモの花々で谷が埋まった。盆地の真ん中にある寺院を囲むようにして、人々は平和で豊かな生活を営んでいた。武士は、この美しい里がすっかり気に入って、この地に留まり、素朴で心豊かな人々に囲まれて暮らしている間に、次第に身も心も癒されていった。しかし、時を経て回復するにつれて、国に残してきた妻子のことが気がかりになってきた。ついに、ある日、いつまでも住み続けたいという気持ちを振り切って、この地を後にした。その後、故郷に戻って家族と再会し、長い間、安穏に過ごしていたが、いつになっても美しい山里のことが忘れられず、再び訪れようと決心した。かすかな記憶をたよりに山々を彷徨ったが、どうしても里の在処が判らず、二度と足を踏み入れることが出来なかったという話である。
私は「かくれ里」伝説を信じている訳ではないが、このような美しくて儚い伝説が誕生するような土地が必ずあったはずだと思い、数年前から、歴史と文化の豊かな小盆地を求めて、笠間、岩間、志筑、そして八郷などを歩き回った。こうした山里放浪の過程で出会ったのが、八郷の地である。筑波山は裾野を東の霞が浦方面と北の鶏足山地方面にのばしている。その東方向に伸びた山裾に挟まれた谷間の一つに椿谷がある。一目見て、ここがすっかり気に入った私は、昨年、地元の人に懇願して約2反歩の土地を分けてもらった。ここは、10年ほど前まで牧草地であったところで、樹木は切り払われておりススキ、ササ、葛、キクイモ、セイタカアワダチソウ、カナムグラ等の繁茂する原野になっていた。南正面は、穏やかな上り斜面が扇状に広がり、突端の境はちょっとした崖で終わっている。北側は、急な斜面の下に田畑と人家がまばらに点在するのどかな山里の風景が望める。東側はクヌギ、イヌシデ、ヤマザクラ、ウワミズザクラなどの雑木で縁取られ、西側にはヒノキ、スギの薄暗い針葉樹林が迫っている。
それ以来、私は、休日の度にこの地に通い、草を刈り、雑木を植え、小屋を建て、土地の人々とも親しく交流してきた。そうこうするうちに、次第に、この谷間の人々の暮らしぶりや奥深く秘めている古い歴史、そして周囲の豊かな自然が少しずつ見えてきた。
春の黄昏時、小屋の窓枠に頬杖をついて、向かいの山肌にヤマザクラの花がほんのりと白く浮かんでいるのをぼんやり眺めているとき、満月の晩に、地面の土に混じった雲母の破片がキラリと光るのを見つけたときなど、「もしかしたら、ここが、私が探していたかくれ里なかもしれない」と、ふっと思うことがある。
2010年7月28日
ハスが咲いた
2010年7月25日
いま、猛烈な雷が
2010年7月24日
プチトマトが豊作
2010年7月19日
ヤマユリが咲いた
2010年7月16日
トンボを眺めながら
雲間から澄んだ青空がのぞいて、時折、強い日しが差し込む。もう、梅雨は終わるのだろうか?そうなら嬉しい。もう、鬱陶しい雨には飽きた。でも、この雨が植物や昆虫にとっては、恵みの雨なんだろう。庭の植物たちは、旺盛に新しい枝を伸ばして、瑞々しい葉を思い切り空に向かって広げている。その新葉や枝を、様々な昆虫たちがムシャムシャ食べたり、樹液を吸っている。
2010年7月12日
ノコギリクワガタが頭に止る
それにしても、ピーのやつ夕食も食べないで何処を歩き回っているのだろうか?まだ、帰ってこない。