2011年1月24日

トラツグミ

たぶん、ピーからのプレゼントだと思う。朝、出かけようとして入り口のドアを開けたら、足下にトラツグミの死体が転がっていた。もう冷たくなっていたから、狩りをしたのは昨日だろう。名前の通り、全身が黒と黄色の斑点に覆われて美しい。この鳥が見られるとすれば、夕方や曇りの日の暗い林の下などであるが、滅多な事では出合わない。むしろ、姿よりも、鳴き声の方が有名だ。真夜中や明けがたの暗い森の奥から「ヒュ〜〜、ヒョ〜〜〜」と、ひどく寂しくて、かぼそい泣き声が聞こえて来たなら、その主はこの鳥だ。聞きようによっては、不幸な死をむかえた人の悲しみと恨みの声のようにも聞こえる。昔の人も、この正体不明の声をたいへん恐れたようだ。平安時代の末期、京都の紫宸殿の屋根の上で夜な夜な怪しい鳴き声を立てた妖怪の鵺(ぬえ)の正体は、このトラツグミだという。僕としては、ピーの贈り物は嬉しいが、本当は、この鳴き声を山小屋で聞きたかったのだが。

2011年1月23日

野焼き

今年も、茨城県自然博物館が主催する菅生沼の野焼きに行ってきた。着火すると火は瞬く間に燃え広がり、一面が焼け野原。その荒涼とした風景は、戦場のよう(幸い本物は見た事はありませんが)。岐阜大学の津田先生によると、地上部1mの高さで温度は800℃から1000℃になっても、地中では温度が上がらないため植物の地下茎や種子には影響が無いそうで、かえって、火入れした方が種子の発芽率が高くなるとのことです。不思議ですね。

2011年1月20日

ピーのドア開け合図

何か良いアイデアはないだろうか。ピーと僕の生活サイクルがズレて困っている。あいつは、午後7時ごろから、ストーブの前で眠りはじめて、午前5時頃に起きる。健康的な生活には違いないが、早朝の寒い時間に起きて、散歩に出かけるピーのためにドアを開けなければならない。そして、7時頃になると、お腹が空いて戻ってくる。せっかく、僕は再び眠りに着いたというのに、また、起こされて、ドアを開けるのである。どこかに猫ドアを作ってやれば良いのだけど、分厚いログの壁板やドアに穴をあけるのに少々躊躇する。これまで、あいつが、何時、戻って来ても良いように、ドアを半開きにしておいたのだが、その間に、氷点下の冷たい空気が容赦なく部屋に流れ込んでくる。ドアを開けるのは仕方が無いにしても、開け放しはなんとかしたい。そこで、今日ドアの外側に鎖を下げた。ドアを閉めておいても、ピーが小屋に入りたくなったら、この鎖をジャラジャラ鳴らせば、僕が飛び起きてドアを素早く開けるというもくろみだ。さっそく、ピーのやつに、小屋に入りたい時は、この鎖に飛びついて音を鳴らすのだと教えよう。はたしてうまくいくだろうか?

2011年1月18日

鉄瓶を求めて

何かと忙しくて、ブログも更新しないうちに、もう1月は半分以上も過ぎてしまった。先週のこと、どうしても薪ストーブにのせる鉄瓶が欲しくなって、笠間の骨董店まで行った。あいにく、店は休み。「仕方が無いので」、笠間稲荷にお参りすることにした(これではご利益が無いのは当然だ)。僕の山小屋にも、お稲荷さんを祀ろうかなんて漠然と思い、門前の店先にあるお稲荷さんの群れを眺めながら歩いた。いる!いる!可愛いのから怖いのまで。陶器製や御影石づくりなどがずらりと並んでいる。でも、彼らの迫力に圧倒されて買わず帰った。それにしても、お稲荷さんは奇妙な神様だ。(写真をクリックしてみて
結局、鉄瓶欲を押さえきれず、とうとうホームセンターで新しいのを買った。さっそく毎晩のように、これでお湯を沸かしている。僕のもくろみ通り、無骨な鋳物のストーブに、真っ黒な重量感のある鉄瓶がよく似合う。静かな夜に聞こえるのは、時々はぜる薪の音と、鉄瓶のかすかなシューンシューンというお湯の煮立った音だけ。ホームページづくりで疲れたから、このお湯でコーヒーをたてようか。静かな夜、山の自然水、薪ストーブの火、それに鉄瓶、これでいれたコーヒーなら美味く無いはずがない。

2011年1月6日

明けましておめでとうございます

つい先日が元旦だと思ったら、もう6日になってしまった。何かと忙しくて挨拶が遅れたが、まだ松の内だから許してもらいたい。一昨日、お正月で太った身体を元に戻そうと小屋の脇の山道を登り、峠の先にある龍神さまに初詣してきた。静かだ。誰一人いない。ここまで詣でにくる人は、山麓の集落のわずかな人と僕くらいなものだろう。「今年が、家族と僕と関わりのある人、そしてこの世のすべての人にとって、健康で平穏な年でありますように」と心から願った。賑わう大きな神社やお寺より、このような山中の神秘的な巨岩の前で、ひっそりと一人でお祈りするほうが神様に確かに聞いてもらえそうな気がする。龍神さまが、この土地のプリミティブな神だから、そう思えるのだろう。