2011年3月30日

小さな水仙

 以前にも、庭のあちこちに水仙が顔を出していると書いたが、今度は黄色の小さな水仙の花が咲いているのを見つけた。健気にも、毎年咲いて庭を明るくしてくれる。

福島からTwitterで発信している詩人の言葉が、心にしみる。
http://twitter.com/#!/wago2828

2011年3月27日

シュンラン

庭を歩いていて、シュンランが咲いているのを見つけた。これは野生のもので、僕がこの土地に棲む前からあった。毎年、今頃になると、決まって花をつける。今年は、いろいろ暗いことが起きたが、庭には春が来ている。

2011年3月24日

目が覚めたら悪夢

ガソリンが入手できたので、しばらくぶりに流山の自宅に帰った。夕方、街に出て書店に入ると、色鮮やかな雑誌や書籍の山、店内に静かに流れる心地よい音楽、漂う新刊書の匂い。大地震の発生からこれまで、山小屋に一人きりで閉じこもり、震災や原発のニュースだけを聞いて過ごした世界とは、あまりに違う空気なので戸惑った。
これは現実ではなく夢の世界の出来事で、つい先日、3万人もの人々が一瞬のうちに死に、今こうしている間にも、夥しい数の人が家を失い餓えと寒さと将来の不安にさいなまれているし、原発の危機も継続していて、明日にも何十万、何百万の人が被爆するかもしれないという状況こそが「現実」なのだと思ったとたんに、突然、目が覚めたような気分になって店から飛び出した。

2011年3月21日

春分の日、雨

雨がアブラチャンの小さな花を濡らしている。ガソリンが無くて、小屋に閉じ込められている。地震の後は、何もやる気が無くなって、持ち帰った仕事にも手を付ける気がしない。ずうっとネットで震災関連の情報を見ているだけ。自分の奥でもショックが進行しているようだ。

2011年3月19日

判明したピーの生態

 まだわからないが、福島原発もどうやら危機的な最悪の状況を脱しつつあるようだ。少しほっとしている。しかし、東北はこれからだ。
この一週間、電池ラジオとi-Phoneと猫のピーがズゥ〜ッと僕と一緒だった。おかげで、TwitterとFacebookの便利さやラジオの良さを見直したし、ピーの生態もわかった。あいつは、明け方から夕方暗くなるまで、約2時間ほど何処かに遊びに行った後、小屋に戻ってキャットフードを食べる。この間、僕の姿を見つけると寄って来て、しばらくは一緒に遊ぶ。この繰り返しだ。以前、このブログで、餌がものすごい勢いで無くなるのは、近所の猫が侵入して盗み食いしているのに違いないと書いたが、これは間違いで、すべてピーが単独で食べていたことが判った。近所の猫たちよ、疑ってごめんなさい。

2011年3月17日

福島からのメッセージ

  2月24日のブログに書いた福島で有機農業をやっている若い友人から、フェイスブックにメッセージが入っていた。昨夜遅く、家族4人で福島から実家のある東京に避難したそうだ。彼は、必ずまた戻って農業を続けると言っている。しかし、「農地が耕作出来るのか、生産物の安全性は。農業がつづけられるのか。」とも書いている。努力して、やっとのこと軌道に乗りつつある農業を捨てる事になるかもしれないと考える彼の胸中を思うと、何と返信していいのかわからない。

サンシュウ

震災で多くの人が死んだり苦しんでいるというのに、庭のサンシュウが明るい黄金の花を咲かせている。猫のピーは、のんきに小鳥を追い回して遊んでいる。

福島原発が心配でならない。著者の本橋成一さんから直接に譲ってもらった写真集『ナージャの村』を書架から取り出して眺めた。この本は、1986年のチェルノブイリ事故で核汚染されたパーブジェ村で頑に移住を拒んで住み続ける村人の生活を記録したものである。写真は、みな美しく明るい農村風景ばかりである。でも、どこかに静謐さと悲しみが漂っている。それが、静かに核汚染の恐ろしさ、人間の愚かさを訴えている。83歳の老人に、どうして移住しないのかと聞いたとき、どうしてそんなことを聞くのかという顔をして「どこへ行けというのか。人間が汚した土地だろう。」と答えたという。この言葉が忘れられない。

2011年3月15日

福島原発事故

心配していたように、事態はますます悪い方向に向かっている。昔、東電と政府が一緒になって、「原発は絶対に安全だ!」とあまりに言うので、「それなら最大の電力需要地である東京湾上に作ればいい」と言った事があるが、今になって、彼らの言った事が 嘘だった ことが証明されたわけだ。これ以上事態が悪くならないように、ただ祈るばかり。

2011年3月14日

東日本大震災

本震から4日も経っているのに、大きな余震が収まらない。加えて長野県北部でも地震が発生している。津波に原発事故・・・。現実とは思えないような事が、次々と起こる。想像を絶する被災者がでているというのに被害の全容が解らない。いまでも救いを求めている人が何万人もいる。なんだか日本列島が狂ってしまったようだ。大地が怒っているようだ。福島原発のこれからが、ものすごく怖い。

2011年3月4日

猫ドア


僕が作った猫ドアを、ピーはすっかり気に入ってくれた。今、小屋では、ここから、お互いに手を出して掴み合いする遊びが流行っている。

木の影


朝起きたら、東側の窓のカーテンに日が射していて、すぐ前のシャリンバイの影が映っている。日に日に力強さを増している太陽。嬉しくなってシャッターを切った。

2011年3月2日

四万騎農園を訪れる

  みなさんは、「四万騎農園(しまきのうえん)」をご存知だろうか? いつも、近くを通りながら、今まで訪れる機会が無かったが、今日は、千代田の花木センターに行く途中に、思い切って門をくぐってみた。大きなスギの屋敷林に囲まれた格調高い民家と落ち着いたモダンな建物と納屋、そして雰囲気のある石蔵。庭の中央には、浅間山麓から移植したという巨木なケヤキの株立ち。屋敷の前は見渡す限りに栗の畑が広がっている。カメラを持ってこなかったのが悔やまれる。この農園主の兵藤さんは、非常に有名な栗の生産者で、この農園は明治初年に開園して以来、およそ一世紀にわたって栗のみを作り続けてきたのである。その品質の確かさは、誰にも真似ができない。面積は、15町歩(4万5千坪!)あり、40年前から有機肥料のみで栽培して来たという。その広大な農園を、息子さんと二人で管理しているというから驚きである。僕が訪問したとき、丁度、二人が仕事から戻って来た。お茶をいただきながら、当主の兵藤さんと、樹木の話から現在のグローバル資本主義社会における農業問題や土壌を守り育てることがいかに大切かなどを、店に置いてある文献を取り出しながら、じっくりと話し合う機会を得た。その物腰、言葉使い、眼差し、そして学識の深さに、本物の篤農家とは、このような人を言うのだろうと思った。土地、屋敷、そこに住む人々、仕事、歴史・・・、すべてに統一した品格の高さを感じる。

帰りに、ここで自家製造している「マロン・ジャム(ラム)」を買って来た。クラッカーと一緒に試食させてもらったら絶品だった。ヨーロッパの料理人も絶賛しているようだ。軽く炙ったハード系のパンにつけて食べるのが楽しみである。

追記: 3月18日〜23日の間、石蔵で小林恒岳氏の日本画展がある。屋敷前の広大な栗の木の下は、季節になると一面が菜の花で埋まるそうだ。当主は「個展に合わせて咲いてくれればいいのだが」と言っていた。

確かに、ここは「特別な空間」である。