2011年5月31日

秘密の空間



ハルジオンの花も盛りを過ぎたし夏草も膝の高さまで茂ったので、庭の草を刈った。木々の間から草刈りした場所を覗くと、まるで森の中で偶然見つけた空き地のようで、そこだけが明るい。誰も知らない「秘密の空間」のよう。(僕はこういうの好きだな〜。)その秘密の空き地で、ヒメシャラの枝にとまったまま少しも動かないカラスアゲハを見つけた。奇麗な個体だから、羽化したばかりかもしれない。今日は、5月の最後だというのに気温が低く肌寒いくらいだから、じっとしているのだろうか。

2011年5月30日

エゴノキの落花

 夕べから止めておいた車の屋根に、エゴノキの花が積もっている。山道を歩いていると、真っ白な花が地面に敷き詰めたように落ちていて、ああ、ここにもエゴノキがあったのかと気づくことが多い。もう少したつと、無数の花柄のひとつひとつに小さな緑の果実がぶら下がる。昔は、この実をつぶして石鹸の代わりに使ったり、灰を混ぜて池に流して魚を捕ったという。この花が散ると、そろそろ梅雨が近いなと思うのだが、既に今年は平年よりも12日も早く関東は梅雨入りしたそうだ。日照不足が心配である。

2011年5月27日

無題

何事も無かったかのように花を咲かせ、葉を茂らせる植物たちを見ているうちに、少しずつ怒りが収まってきたというのに、今日のニュースで、また東電がデータ隠しをやっていたのを知って再燃した。醜い。

2011年5月25日

ハルジオン

 今日も敷地から一歩も外に出ないで過ごした。ずっと、野外のデッキで原発関係の本を読んで過ごした。そばでは、ピーが寝そべっている。日影を求めて移動する様子がおかしい。 庭では、地元で「貧乏草」と呼ぶハルジオンが、強い日差しを受けて光っている。僕に似合いだとみえて、まわりの植物と調和して美しい。

2011年5月24日

麦秋


風呂から帰る途中、片野集落を過ぎたあたりで、一面に広がる麦畑に西日が射して黄金色に輝いている風景に出会った。美しい。でも、カメラを持っていない。そこで、携帯電話のiPhoneにカメラが付いているのを思い出し、車を路肩に止めて撮影した。ケースに入れたままだったので、写真の四隅が欠けているが、これはこれでノスタルジックな雰囲気を出すのに役立っている。

雨上がり


この奥に小屋があるなんて誰も気が付かないだろう。最近では、すっかり周囲の木々が茂って、小屋は道からすっかり隠れてしまった。僕が、当初から考えていた「雑木林の中の小屋」のイメージに、だんだん近づいてきたのが嬉しい。そう、木守小屋(こもりこや)は「隠り小屋」であり、「木漏れ日小屋」なのである。因に、「木守」とは、古い日本語で「森番」や「庭番」のこと。


雨が上がったので外に出てみると、バイカウツギの花が、雫をいっぱい付けて咲いていた。雑木林には、白い花が似合うように思っているせいか、どうしても白花の種類が多くなる。

2011年5月18日

気持ちのよい夕暮れ



今日は良い日だ。ピーがこの2、3日、何も食べずに眠っているばかりで心配していたが、夕方、つくばから小屋に戻ると、いつものように元気に迎えてくれた。呼んだら、小さな声で返事しながら駆け寄ってくる。
一緒に、裏の道まで出てみると、満開のコゴメウツギの花を西日が照らしている。やがて、太陽は筑波山の左肩に沈んで、田植えが終わって水を張った田んぼに逆さの筑波山が写っている。カエルの声が一段と大きくなった。遠くからアオバズクの鳴き声が聞こえる。気持ちのよい夕暮れだ。 写真をクリックすると大きくなります)

2011年5月15日

庭での瞑想


よく晴れた爽やかな天気の日だというのに、風邪が治りきっていないせいもあって、一日中、木漏れ日の下で本を読んで過ごした。ピーもずうっと、傍の木陰で寝そべっている。読んでいるのは、テック・ナット・ハンの『ブッダの<気づき>の瞑想』。書かれている通り、呼吸に意識を集中する・・・。でも、どうしても庭の花の香りに意識が向かってしまう。これは、オガタマ、これはハクウンボク、サワフタギ、これは確か・・。頭上では、しきりにウグイスがさえずっている。この季節、庭は瞑想に不向きかも。

2011年5月11日

緑の海底



夕べからの雨が、午後になっても止まない。大きく広げたホオノキの葉が雨粒を受け止めている。庭の木々は、すっかり葉を茂らせて、四方の窓は柔らかい緑で満ちている。今日のような雨の午後、部屋の隅で音楽を聴いていると、海底を漂っているかのよう。

2011年5月10日

ムササビ調査


昨日、茨城県自然博物館のスタッフと一緒に、八郷地区のムササビ調査を実施した。これまで、筑波神社や雨引観音の森に生息しているのを知っていたが、まさか、僕の散歩コースである近所の森にも、しっかり生きているとは驚いた。太い松の根元に正露丸のような糞が落ちていた。最近では、夜に森に行く人もいないのだろう。地元の人に聞いても、昔はいたようだが今は知らないという返事ばかり。誰も近づかない暗い森の中で、あのクリクリした大きな眼と手足にある大きな膜を広げて、木々の間を飛び交っているのを想像すると、もう嬉しくて嬉しくてたまらない。よくぞ、生きていてくれたという思いでいっぱいである。調査は、まだまだ続く。