2013年1月25日

ピー・シーサー


ピーのやつ、朝ご飯を食べた後、何処かに遊びに行ったらしい。あいつの姿が無い。大声で呼んだら、屋根の上で、「ここにいるよ」と小さな声で答えた。振り向くと、まるで沖縄のシーサーのように見下ろしていた。ネコのシーサー。小屋の守り神。小屋の本当の主。


2013年1月18日

雪の筑波山登山

月曜日から延び延びになっていた筑波山登山をしてきた。ミニコミ紙を創刊するという人から同行してくれと頼まれたのだ。麓から見た筑波山の南面は、ほとんど雪が消えているように見えたから、今日なら大丈夫だろうとたかをくくっていた。しかし、いざ御幸が原コースの半分を過ぎると、それから上はまだまだ深い雪が残っている。アイゼンを持って来なかったのが悔やまれる。ガチンガチンに凍った登山道を、滑らないようにと緊張しながら登った。見上げると、風に飛ばされて枝から落ちてくる雪の粉が、木々の間から射し込む日の光にあたって、キラキラと輝ている。ダイヤモンド・ダストのようだ。もう、雪の中を下るのはこりごりでケーブルカーに乗った。小屋にもどる途中、北条のポステンに寄り道して飲んだコーヒーが美味しかった。


2013年1月15日

アジールとしての八郷

昨日は一日中雪が降っていたし、今日はその雪が凍り付いて車で出かけるのが怖い。仕方が無いので、一日中、借りてきた本を読んでいた。おかげで随分進んだ。その中の一冊、網野善彦の『「忘れられた日本人」を読む』(岩波書店2003年)は、講座が基になっているので読みやすく、たいへん面白かった。その中に「アジール」という言葉が、時々キーワードとして出てくる。「アジール」とは、もともと聖域、自由領域、避難所、無縁所などを意味する特殊なエリアのことで、この中に入ると、世俗の縁、関係や制度、しがらみ等の絆がすべて切れて自由な個人になる場のことである。だから、罪人がこの中に逃げ込むと捉えることが出来ない。彼によると、もともとは日本社会ではこのような「無縁の場」が多数存在していたという。そして、その多くは山林にあったという。戦国時代には、村の奥の森に「山小屋」があって、何か事が起こり戦争などがあると、村人はこの「山小屋」に籠ってしまう。中世の山城や屋敷、寺院、神社、かがい(歌垣)などもそうだという。一時的なものとしては、市や祭りなどの時にも出現する。
 以前、誰かから、筑波山の周辺にも、このようなアジールらしい場所があったと聞いた事がある。確かに、筑波山は、普段の夫婦の関係が切れてただの男と女になる「かがい(歌垣)」が行われた場所で有名であるし、中世にはいたる所で戦があった。また、古くから山岳宗教が盛んで、江戸時代には強力な権力を背景にした神社(寺)もあったので、アジールがあったとしてもおかしくない。
 そういえば、八郷盆地に住んでいる人の中にも、都会や現代社会の価値観、人間関係や社会に疲れてあるいは疑問を抱いて、それらと決別し、峠を超えて、八郷の美しい自然と人氣に癒しを求めて移住してきた人が少なからずいるように思える(本人は自覚していなくても)。そういう意味では、八郷は現代のアジール的な存在なのかもしれない。
そこで、はたと気がついた。僕の「木守小屋」も、本当は「隠り小屋」なのかもしれないと。


2013年1月7日

蔵風得水の地

八郷盆地(山根盆地)
この正月は、笠間の図書館で借りてきた数冊の本を読んで過ごした。そのうちの『異界談義』(国立歴史民俗博物館編2002年)の第4章 「おに」の来ない鬼門(鈴木一馨)の中に四世紀以前の古代中国の風水である「蔵風得水」の思想が説明されていた。これは、中国や日本、韓国の風水の原型といえるもので、今でも中国では重要とされているそうだ。その意味するところは「風を蔵(おさ)めて水を得る」地形である。すなわち、竃型の地形で、「山から吹いてくる風が、谷間を適当な湿度に保ち、生活用水もある」という、最も生活に適した土地のことである。また、中国に古くからある元気説の理論では、「蔵風得水の地というのは、人にとって良い影響を及ぼす氣、つまり「良氣」が溜まって、悪い影響を及ぼす氣、すなわち「悪氣」が、川の流れとともに去っていく」という優れた土地のことをいうのだそうだ。
山小屋のある谷
僕は、スピリチュアルの方面には疎いが、地元集落の老人たちが「ここは特別な場所で、ここに住めば、幸せに長生きできる」と言っていたのを思い出した。また、僕も十年間住んでいて、落ち着いて過ごせる良い土地だという思いをますます強くしている。この正月、この「蔵風得水」という言葉と出会って、その理由が、少し判ったような気がする。改めて、グーグル・アースで、八郷盆地(正確には山根盆地)と、山小屋のある谷を眺めて見ると、まさに竃形の地形をしているではないか。しかも、背後には霊山の筑波山がそびえている。ここは、本当に「蔵風得水」の地なのかもしれない。(お正月らしい話題でしょう)




ピーの教育


ピーの教育になればと思って、今日のネットにあった忠猫のニュースを二つ聞かせた。一つは、ブラジルの刑務所で猫が脱獄用具を運んだ話。刑務所に外部から入ってきた猫の胴体に何かが巻き付けてあることに職員が気付いて、つかまえて調べたところ、のこぎり、ドリルの刃、携帯電話などが出てきたというのだ。可愛がってくれた主人が、刑務所に入ったので、脱獄を手伝おうと、一生懸命、壁を登って届けようとしたのだろう。

 もう一つは、イタリアの話で、ドルドという忠ネコは、可愛がってくれた主人のレンツォさんが亡くなり、その葬儀の翌日から、毎日、墓を訪れ、家族が手向けた花のそばに、枯れ葉や小枝、プラスチックのコップ、紙ナプキンなどを拾ってくるようになったそうだ。泣ける話ではないか。ネコ達の健気さには涙がでる。「ピー。聞いてるか?・・・」、「あれッ! いない! どこかへ遊びに行ってしまったようだ。」



2013年1月5日

寒い一日

  今日は、朝から一日中、どんよりした日差しで気温が上がらず寒い日だった。いつもなら、夕方から火を入れる薪ストーブを、午後の3時頃から焚いた。これで落ち着いたせいか、こんどはお腹が空いてきた。お正月でなにかと忙しくて買い物にも行っていない。何も「おやつ」になるものが無い。そうだ、田舎から貰ってきたサツマイモがある。イモを輪切りにして、ストーブの上に並べて焼いた。しばらくすると、小屋中にイモの焼ける甘い香りが立ちこめた。待ち遠しい。イモをひっくり返すと、こんがりと美味しいそうな焦げ目が付いている。待つ事、更に5分。両面がキツネ色に焼けた。試しに食べてみると、甘くて香ばしい焼き芋が出来上がった。イモを茶請けにして、お茶を飲んだ。
薪ストーブは本当に楽しい。身体も心も温めてくれる。
今年のお正月も終わった。


2013年1月1日

たった一人の初詣


 穏やかな元日の朝。何処に初詣に行こうかと考えて、一旦は小屋を車で出たが、途中で近くの龍神様と薬師堂に行こうと思い直してUターンして戻った。山小屋の脇をとおる山道は、中世までさかのぼれる古道で、「赤坂」と呼ばれている。この山道を登り、椿峠をすぎると、突然巨大な石がいくつも重なった龍神様が現れ、更にその先には薬師堂がある。反対側を下ると菖蒲沢の集落に出る。龍神様の前では石に腰をかけて、長い時間、ぼんやりと何も考えることなく、ただ眼下の家々や田畑、谷向こうの山肌を眺めた。ときおり、ヒヤリと冷たい、清々しい山の空気が流れて行く。

 薬師堂は、筑波山四面薬師の一つで、徳一上人が開山した筑波山不動院東光寺の奥の院である。昔は、由緒ある大きな寺だったのだろう。その片鱗がいたるところに残っている。現在では廃寺となっていて、集落の人以外、訪れる人はほとんどいない。備えられていたノートを見たら、今日の日付で記帳している人は、僕を含めてたったの3人だった。僕の直前に記帳しているのは、麓の幼い姉妹らしい。つたない大きな文字で名前が書いてあった。二人きりでここまで登ってきたのだろうか。何をお願いしたのだろうか。うす暗い堂内を覗いたら、奥の方に薬師様が両脇に腕をもがれた仁王を従えて座っていた。これまで、小屋を出てから誰とも会っていない。たった一人だけの初詣である。こんな静かな初詣もなかなか良いものである。
 平成25年が、今日のように穏やかな日々の年でありますように。