この洞穴は、いつ誰が掘ったものだと思う? 何と! 奈良時代に布目瓦を焼いた跡なのだ。中を覗くと、最近掘ったかのように、焚き口も瓦を焼いた焼成部も奥の煙抜きもはっきり判る。これまでに約30基もの窯跡が確認されていている。研究者の説明によると、この規模は日本一かもしれないという。ここから、石岡にあった常陸国の国府に国分寺や国分尼寺などを建立(741年)した際に屋根瓦などを供給したのだ。
今から1200年の昔、僕が立っているこの場所で、多くの人が忙しく動き回り、焼き上がった瓦の出来具合に一喜一憂していたのかと思うと、一瞬、新緑の里山が目の前から消えた。どんな人たちが働いていたのだろうか? 何処から来て何処に消えたのだろうか?
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