2013年7月28日

エスプレッソのかき氷

  夕べの大雨で大気が洗われたのだろう、雲間から痛いほど強烈な夏の日差しが照りつける。その中を、湯袋峠を越えて真壁の橋本珈琲まで食事に行った。でも、ランチはさておいて、本当の目的は「エスプレッソのかき氷」が食べたかったのだ。橋本珈琲では、この夏、普通のかき氷の他に、大人向けのかき氷を三種類用意している。先日食べた梅酒と定番の小豆と、それに今回のエスプレッソである。エスプレッソのかき氷とは珍しい。有りそうでない。この店のオリジナルだと言う。いつもエスプレッソを愛飲している僕としては、どうしても味わいたかったのだ。加えて、氷も、地元の造り酒屋「花の井」さんの仕込み水で作ったというこだわり様である。すごく楽しみである。

 さて、出されたかき氷は、下半分にエスプレッソが注がれて、上にはたっぷりとミルクが掛けてある。スプーンで、下の方から繊細な氷を掘り崩すと濃厚なコーヒーが現れた。それを上のミルクと混ぜてシャーベット状にして一口すすると、エスプレッソの芳醇な香りと苦み、そしてシロップの甘みとミルクの風味が絶妙に解け合って、口の中いっぱいに広がった。それらが、爽やかな氷の食感と一体となって、新しいかき氷の味となっている。これは本格的なエスプレッソ・マシンと地元の造り酒屋の仕込み水との組み合わせがあったからこそ実現出来た事で、他では真似のしようがないだろう。是非、ご賞味を!

2013年7月25日

映画の撮影


青田の向こうの茅葺き民家から、子どもたちの歓声が聞こえる。この集落には、こんなに子どもはいない。何事かと思って近づいたら、都会風の可愛い子どもたち2、3十人が庭先に集まっていた。強いライトの光がレフ板に反射して彼らを照らしている。また、映画の撮影でもしているのに違いない。ジーパン姿で長髪やヒゲを生やした若いタッフたちが、撮影機材を抱えて忙しそうに走り回っている。そのうちの何人かが真剣な表情で、長い棒を振り回して、庭先のセンダンの木を叩いている。木に止まっているセミを追い払っているのだ。きっと、今、撮影しているのは夏の場面ではないのだろう。セミの鳴き声をマイクが拾っては困るのだ。セミは、追っても追ってもすぐ木に戻ってくるらしく、いつまでも長い棒を振り回していた。この蒸し暑い中、ご苦労な事だ(笑)。


2013年7月21日

姫睡蓮が咲いた

 僕の前世はカエルだったのかもしれない(笑)。子どものころから水辺が好きで、いつも水槽の縁に肘をついて、透き通った水の中に広がる小さな別世界を覗き込んでは時間が過ぎるのを忘れていた。

 先ほど外出から小屋に戻ったら、先日作ったメダカ鉢に、今年初めてヒメスイレンが咲いていた。例年より少し遅いようだ。このスイレンは、今から7、8年前に原付バイクの免許を取って、初めて流山の自宅から八郷の山小屋までやっとの思いで運転して来たとき、疲れて途中の明野の直売所で休憩した際に買い求めたものだ。それ以来、毎年、夏になると可憐な花を咲かせて、原付による初めての長旅?を思い出させてくれる。(写真をクリックして大きな画面で見れば、一瞬、夏の暑さを忘れられるかも)




2013年7月19日

今日のおみやげ


 僕は八郷と流山を往復して生活している。はじめは、半々で暮らそうと思っていたが、八郷での生活が楽しくて、つい山小屋で過ごす時間が長くなってしまう。それが少し気になっているせいか、流山に帰る時には、何か家内に「おみやげ」を持ち帰らなくてはと思ってしまう。今日の「おみやげ」は、先ほど庭で収穫したミニトマトとソルダムにすることにした。それに丁度、Panezzaのイタリアパンもある。今回はこれで決まりだ。
 これらをテーブルに並べたら、なかなかいい色合いで、どことなく南欧風でもある。しかし、現実はヤブ蚊の襲撃と蒸し暑さで、やはりここは八郷だと思い知ることになった。

2013年7月11日

窓辺にオオムラサキが

 たった今、水シャワーを浴び、さっぱりした気分で裏庭を眺めていたら、オオムラサキの雄が窓辺のアジサイの上を飛び回っているのを見つけた。パサパサと大きな羽音がする。息を殺してじっとしていたら、僕の左手の甲に止まって、大きくな羽をゆっくりと広げた。美しい!その瞬間、全身にゾクッとするような感覚が走って、何か啓示を受けたような気持ちになった。写真を撮ろうと動いたのがいけなかった、再び飛び去ってしまった。

2013年7月10日

夏を迎える準備



昨日、出島の「ルビジノ」から小屋に戻ったら、入口のヤマユリが咲いていた。この付近では一番早い。8つも蕾を付けている。毎年、小屋の裏の道沿いには、野生のヤマユリがたくさん咲く。お隣のおじいちゃんが大切にしているのだ。花が咲くと、辺り一帯に濃厚な百合の香りが漂って、風向きによっては、小屋の中まで、その香りが届くことがある。

 真壁から来た風鈴を、小屋の軒下に吊るした。微かな風でも短冊がひらひらと舞い、ときどき、優しい音色で風鈴が鳴る。音が風の在処を知らせてくれる。この2、3日、暑さが厳しい。丁度良いタイミングで、我が家に来てくれたものだ。風鈴が、音で涼しさを感じさせてくれるなら、目でも感じようと、その下に睡蓮鉢を置いてメダカを飼うことにした。ヒメスイレンの葉の間を緋色のメダカ(楊貴妃)6匹が、ゆったりと気ままに泳いでいる。何も考えないで、メダカたちの動きを目で追っていると、この暑さも忘れられるような気がする。風鈴とメダカ、これで、今年の夏を迎える準備は完了だ。


2013年7月9日

プラムが消えた

 先日、プラムを収穫して、まだまだ、たくさんの残っていると思っていたら、どういう訳か、ほとんどが無くなっている。まさか、こんな奥まで人が来ることは無いだろうから、考えられるのは、ハクビシンかカラスの仕業だろう。悔しさよりも、その徹底した泥棒ぶりに感心した。ピーの留守番は、まったく当てにならない。

2013年7月5日

真壁の風鈴

 「真壁の町を散歩していたら、どこからか風鈴が聞こえる。今日の蒸し暑さを忘れさせてくれるような音だ。誘われるように、音をたどっていくと、黒い板壁の雰囲気のあるカフェに突き当たって、その軒下に風鈴が下がっていた。音の源はここだったのか。ときどき通りを吹き抜ける風が短冊を揺らす。風鈴の下にある看板には、黒地に白文字で「橋本珈琲」の店名と今月23日から始まる「真壁の祇園祭」の予告が書かれていた。僕は、風鈴の音に誘われるようにしてドアを開けた。」

・・・なんていうのは半分フィクションで、本当は、いつものようにランチと珈琲を飲みに行った店の女将から地元の小田部鋳造(株)製の風鈴を紹介されたのだ。嬉しいことに、僕にその1つを譲ってくれるという。小田部家は、創業800年という真壁屈指の旧家で、ずっとその間、代々が梵鐘を鋳造し続けて来た。そのせいか、風鈴は、ずっしりと重くて、風鈴と言うよりごく小さな梵鐘という感じで、音色も鐘の響きのような深い余韻が感じられる。
 風鈴は、もともとはお寺の風鐸が元で、この季節、風に乗ってやってくる疫病や災いを清め鎮めるものだったそうだ。この意味では、祇園祭と同じである。風鈴の音が聞こえる範囲には、悪霊は近づけないと言われる。
 初夏のこの季節、懐かしい町並み、土蔵、老舗旅館のカフェ、祇園祭、そして風鈴の音・・・ 真壁の町に風鈴が良く似合っていた。




プラムの収穫


 プラムを収穫した。これでも、まだほんの一部だけ。僕は、まだ表面に緑色が残っているくらいの固いのが好みだ。頂上の黄色いのは、これも初生りのビワ。少し前に、Sさんと、果物の中で何が一番美味いかを話題にした事がある。福島出身のSさんは桃だといい、僕はビワだと主張した。でも、ブドウもうまいし、柿もいい。要は、果物は何でもそれぞれが美味いということか。


2013年7月4日

プラムの初生り


 梅雨の合間をぬって、プラムを撮影して来た。この木は、確か数年前に植えたきり、すっかり忘れていた。毎年、葉っぱばかり繁らせて、一度も実を付けた事が無かったから、そのうち、何の木だった忘れてしまったのだ。ところがどうしたことか、今年は初めてたくさんの実を付けた。本当の初生りだ!(おぉ〜!お前はプラムだったのか) 試しに、外側に少し赤みを帯びたのを齧ってみたら、赤い果肉が甘くて皮のところに少し酸味があり、この甘酸っぱさが実に美味しい。見上げたら、繁った枝先に、赤い実がたわわに実っているではないか! こういうのを幸福を感じるときというのだろう。
雨が上がったら、脚立に登ってプラムの収穫だ。


電柱が立った

 5月のブログに、上の原野に家が建って、そこへの道ができると書いた。その後、山道に砂利が敷かれ、ついに、昨日から電柱を立てる工事が始まった。大きな工事車両が入ってきて、いままで、小道を覆うように茂っていたウワミズザクラやエゴノキの枝が払われ、立木が伐採された。切り株の白さが痛々しい。ここが同じ場所とは思えないほどの変わり様だ。一日も早く、残った木々が新たな枝を出して、再び、道を覆って欲しい。もとの静かな雑木林の道に戻って欲しい。