2014年3月29日

咲いた、咲いた庭のシダレサクラが咲いた


 今年も、庭で初めて咲いたサクラは、この枝垂桜である。昨日はまだ蕾だったのに、先ほど見たらたくさん咲いている。これは、数年前に、Sさんが、福島県三春から滝桜のクローン苗を持って来て僕にプレゼントしてくれたものだ(Sさん、そうですよね)。昨年は、数個のみだったが、今年は、100個以上も花を付けている。萼の基部が、ひょうたん型にぷっくりと膨らんでいて、エドヒガン系だと判る。花弁の色も赤味が強くて美しい。まだ、樹高が数メートルの若木だが、すでに四方に風情ある枝を垂らし、将来、八郷の名木となりうる気品と風格を感じさせるものがある。植えている場所は、庭の上部中央である。あと、100年もすれば、集落の何処からも見えるようになるだろう。そのとき、里の人から何と呼ばれる桜になるのだろうか。(こういうのも、「親バカ」と言うのだろうか?)


2014年3月26日

気持ちいい日差しの下で

昨日に続いて、ジャガイモを植えた。その間、ピーのやつ、庭のテーブルで、ずうっと昼寝をしていた。今日は薄曇りで風も無く、春の暖かな日差しが優しく庭を照らしている。たしかに、気持ちが良さそうだ。早く植え付けを終わらして、僕も仲間に入れてもらおう。


2014年3月25日

グリーンのバラ

 先日、神生バラ園に行ったら、淡いグリーン色のバラが飾ってあった。赤やピンクの色鮮やかなバラの隣で、独特の存在感を醸し出している。気になったので、何と言うバラか聞いてみたら、「ミントティー 」という名前だと教えてくれた。なるほどと納得するネーミングだ。なお、このバラは素晴らしく花持ちが良いという。弱っても花弁がハラハラと落ちない。驚いたことに、別の花瓶のものは、昨年の11月から飾ってあるものだという。僕がよほど欲しそうな顔をしていたのかもしれない。1本をいただけることになった。早速、オールド・コカコーラ瓶に生けて山小屋のテーブルに飾って、毎日眺めているが、それ以来、ずっと変わらず生き生きとしたままである。この状態が、いつまで続くのか楽しみである。誰かに見せて自慢したいのだが、今のところ誰も来ないのでブログにアップする事にした。


2014年3月17日

可愛いツバキの花たち


 冬枯れで寂しかった庭にいろいろな花が咲きだした。鮮やかな黄色のフクジュソウに続いて、サンシュウが咲いた。今度は、ピンク色の侘助椿が、一斉に咲き出した。庭も、だんだんと日増しに華やかになっていく。ツバキは僕の好きな木だ。早春の薮陰にひっそりと真っ赤な花をつけているヤブツバキを見かけると、こんな美しい花が野山に咲いている日本の自然は本当に素晴らしいと思う。ヤブツバキが大人の女性だとすると、このピンクの侘助椿は可憐な少女である。彼女たちは、春が来た喜びをぺちゃくちゃと皆で語り合っている。



2014年3月9日

雑木林の拡大

 

 これまで庭の南半分はクズの生い茂る原野であったが、本日、その一部にクヌギ8本、コナラ8本を植えた。小面積であるが我が雑木林の領土を拡大した。今後、再びクズやセイタカアワダチソウ、カナムグラなどの野蛮な輩に奪還されないように、堅固な意思と強力な防衛能力を持って臨むつもりである。

庭のフクジュソウ


 朝、小屋を出ようとしたら、庭の片隅にフクジュソウが咲いているのを見つけた。2、3日前から咲いていたのかもしれないが、この花は、曇っていたり辺りが暗くなると閉じてしまうから、朝出かけて夕方帰る生活で気が付かなかっただけかもしれない。まだ、サンシュウは蕾のままだから、これが山小屋で春になって一番最初に咲いた黄色の花だ。
 たしか、この花は、ずうっと以前に故郷の実家から株分けして植えたものだ。しかし、花が咲いている期間を過ぎると葉ばかり繁ってつまらない姿になってしまうので忘れてしまう。そして、又、この季節が巡ってくると、実家で過ごした日々を思い出させるために咲く。



2014年3月7日

新しいブログを開設しました

 近頃、徐々に春めいてきました。それに伴い、野山を歩き回ったり、車で外出する機会が増えてきました。そこで、これからは歩き回った記録や写真を中心とした『筑波山塊を歩く』と、木守小屋での暮らしを中心とした、どちらかと言うと立ち止まった記事の多い『木守小屋から』の二本立てとします。どうぞ、これまでと同様に、気が向きましたら覗いて下さい。

『筑波山塊を歩く』のURLは、 http://ramunos2.blogspot.jp です。
よろしくお願いします。




2014年3月1日

雨の日の「塗り絵」

八郷の田んぼ
雨の一日、先日の池田先生のマネをして、五万分の一地形図の田んぼ部分を色鉛筆を使って黄緑色に塗りつぶした。まるで、小学生の塗り絵だ。それが、描き始めたら、面白くてオモシロくてたまらないのだ。気が付いた時には、脇に置いたコーヒーはすっかり冷えてしまっていた。色鉛筆の先端が友達の家を見つけたり、「これだけの面積で集落が食っていけるのだろうか」とか、細かに入り組んだ谷津では「確か、ここの池にはイモリがいた」なんてつぶやいたり、変な記号を見つけては思い当たるものを考えるなど・・・、時間が過ぎるのも忘れてしまう。少し離れて眺めると、田んぼの広がりが、大地に根を張っている巨木ように見えて、これはこれでたくましくて美しい。周囲の山に降った雨が、この小川を流れて田んぼを潤し、やがて一つに集まって恋瀬川となって霞ヶ浦へ下るなんていう想像は眠れない夜には有効かもしれない。(ただし、深入りは逆効果)
 この「塗り絵」は、退屈で死にそうな人や、疲れて落ち込んでいる人には効果的だと思われる。お試しあれ。「自分は元気だし、そんな暇人じゃない!」。あぁ、それは、それで結構。

 さらに、池田先生から教えてもらったことは、山根盆地(八郷盆地)の低地(田んぼ)がこんなに広いのは、砂や泥が厚さ100mも積もった堆積盆地だから邪魔する岩が無くて小川が楽に流れを変えることが出来たからだということ。また、川又・半田付近に峡谷(狭窄部)があったので、「2万年前の海面低下期に、恋瀬川の河床は高浜では今より20mも下がったのに、川又の岩の河床が浸食されなかったために」これが、いわば自然のダムとなって、これより上流である八郷盆地の「低地の土が保全された」とのことである。そして、このメカニズムは、京都盆地や奈良盆地と同じだそうだ。そう聞けば、八郷の風景が京都や奈良の風景とよく似ている理由が納得できる。きっと、風水では、このような地形を優れているというのだろう。