2017年6月14日

小宇宙としての「屋敷」


庭と住居は、そこで暮らしている人の内面を表す。外部から垣根越しに、庭と建物(屋敷)を眺めただけで、そこに暮らす人の好みや考え方がわかる。いくら住人が、隠してたり繕っても、その「人なり」が透けて見えてしまうのだ。

 樹木調査で、つくばの郊外を細かく回った。奇抜なデザインの家や豪華な造りのお屋敷、色鮮やかな草花で埋もれた瀟洒な家などをいくつも見た。しかし、これらは綺麗だと思うものの、住みたいという気持ちが起きなかった。それでも、稀に、心惹かれる住宅を見つけて嬉しくなることがある。
 僕が、強く魅せられるのは、暮らしと庭が一体となっているような「屋敷」である。家自体は、それほど大きく立派ではないが、そこに住んでいる人々の食を支える畑や田んぼが隣接している。畑には、ネギ、エンドウ、ナス、トマト、ほうれん草などの日常の料理で使う野菜が、区画ごとに植えられている。家の脇には物置があって、農業や園芸用品が整然と置いてある。家の周りを防風防火のためのシラカシ、ケヤキの巨木や、杉、竹、シュロなどの屋敷林が囲んでいる。楽しみのための果実や生活に潤いをもたらす草花も植えてある。「屋敷」は可能な限り自給自足できるようにと食べ物や生活用具が揃っている庭であり住宅である。いわば「食卓や生活とつながる庭」である。
 こうした「屋敷」には、生活するための基礎が備わっている。人として当たり前の暮らしできる仕組みがある。ここには、安定して確実に暮らすために労を厭わない暮らしがある。生産と消費を、可能な限り自分の手で担うこと、目の届くところで、暮らしの全体が完結することを目指している意思がある。僕は、こんな「小宇宙としての屋敷」に強く憧れる。

 ここまで書いてきて、ふと、僕が八郷が好きな理由がわかったような気がする。八郷盆地自体が、この自立を目指した「屋敷」の相似形であり、屋敷林の代わりに山々が周囲を取り囲んでいる。そして、米、野菜、果物、肉などの暮らしに必要な食べ物のほとんどが生産されている。長い歴史に育まれた暮らしの知恵もある。また、生活の質を豊かにするクリエイターの人たちもたくさん住んでいる。八郷盆地自体が、自己完結の小宇宙としての要素を多分に持っているのだ。だから、「屋敷」も「盆地」も共に美しい。