2018年10月24日

二宮の高田山専修寺



 今日は、気持ち良い天気だし、iMacは快調に動くしで、朝から気分が良い。結城方面に車を走らせた。帰り同じ50号線を戻るのもつまらないので、大きくそれて真岡に向かった。

 Googleマップで見ると、近くに親鸞聖人ゆかりの「専修寺」があるらしい。ナビを頼りに進むと、田畑に囲まれた平凡な集落の中に鬱蒼とした森が現れ、道は次第に狭くなる。人影も無い。道の両側の農家はどことなく昔風で風情がある。やがて、山門が現れた。思わず息を飲んだ。入り口の脇に、根周りが10メートルもある欅がそびえて立っていた。看板によると、樹齢800年で、親鸞聖人のお手植えとある。栃木県の天然記念物になっている。その下の茅葺の「総門」は素朴な形であるが、それだけに長い時間を感じさせる。それもそのはずである、柱は親鸞聖人が建立した当時のものだそうだ。次に現れたのは、重厚な作りの「山門」である。その向こうに「如来堂」が見える(写真)。これは親鸞聖人が建立した唯一の如来堂で、長野の善光寺から迎えた一光三尊仏を本尊として祀っている。その他、等身大の親鸞聖人像の坐像を安置する「御影堂」や日本では最大の珍しい釈迦涅槃像が安置されている「涅槃堂」などがある。この1万4千坪の広大な境内には、多くの国宝や指定重要文化財、天然記念物などが驚くほどの密度で集中している。さすが国指定史跡の寺である。

 親鸞聖人は、越後国に配流された後、許されても直ぐに都に戻らず、稲田(笠間)の西念寺に滞留して、主著である『教行信証』の草稿を完成させた。その後、真岡城主の大内氏の招きで、この地に一宇を建立し、布教活動の中心を移した。親鸞聖人による東国(常陸、下総、下野が中心)での布教は約20年間にも及び、この専修寺で7年間を過ごしている。結果、「高田門徒」と言われる真宗で最大の教団が形成され、後に、京都の本願寺教団に取って代わられる以前は、「高田の本寺」として隆盛を極めた。しかし、戦国時代の兵火によって堂宇が消失するなどして次第に衰退していった。

 シーンと静まりかえった広い境内。僕の他に誰もいない。カラスの鳴き声が建物にこだまする。800年前に、親鸞聖人が踏んだかもしれない地面を歩き、触れたかもしれない柱に触れて、思いをはるか遠くにはせた。







0 件のコメント: