2019年6月25日

テイカカズラの花


 薄暗い林の中で、濡れそぼったテイカカズラの花がひっそりと咲いていた。深い緑の葉と白やクリーム色の花が印象的である。また、その風車のように捻れた五枚の花弁の形も。
名前の由来は、謡曲『定家』であり、あらすじは、以下のようなものである。時間のある方は、じっくりと読んで欲しい。二度とテイカカズラ(定家葛)を忘れることは無いだろう。
僕が解らないのは、一旦は法力によって成仏したのに、何故、また墓の中に戻って、葛にまといつかれる道を選んだのかだ。男も女も「業」が深い生きもので、地獄に落ちてもいいから「愛」を選ぶということか。
ーーー「北国から上って来た旅の僧が、都千本辺りで暮色を眺めているうち、俄かに時雨が降ってきた。雨宿りをしていると、そこに一人の若い女が現れ、ここは歌人藤原定家が建てた時雨の亭だと教えた。女は昔を懐かしむかに見え、定家の歌を詠み、僧を式子内親王の墓に案内した。もと賀茂の斎院だった内親王は、定家と人目を忍ぶ深い契りを結ばれたが、世間に漏れたため、逢うことが出来ないまま亡くなった。それ以来、定家の執心が、葛となって内親王の墓にまといつき、内親王の魂もまた安まることがなかったと女は物語り、自分こそが式子内親王である、どうかこの苦から救いたまえと言って消えた。その夜、僧が読経して弔うと、内親王の霊が墓の中から現れ、法の力によって成仏したことを喜び、報恩のためと舞を舞った。やがてもとの墓の中に帰り、再び定家葛にまといつかれて姿を消した。」ーーー


2019年6月21日

月岡の鎮守の森



 迂闊だった。八郷に来てから12年以上も経つのに、ごく近所にこんな神社と鎮守の森があるのを知らなかった。2,300坪もの広大な境内に、樹齢が数百年超と思われるスダジイやスギ、モミ、コナラなどの巨木が鬱蒼と茂っている。古代からの森閑とした空気が社をとり巻いている。


案内板によると、創建は大同2年(807年)。日本武尊が東征の折、この地に立ち寄ったところ、まさに「風清月白」の時、夜を徹して月を賞でたという。そこでこの地を「月岡」と命名したと。日本武尊の伝説はともかく、八郷には美しい地名が多いのは事実である。


2019年6月17日

カフェ評論家


こう見えても、僕は自称「カフェ評論家」である(笑)。暇な日が続くので、今日は「カフェ」をハシゴした。


 一つ目は、笠間の南吉原にある『パン・ド・ムシャムシャ』(写真上)。コーヒーに瑞々しい森の木々が映ってる。コーヒーもパンも、文句なく美味しい。


 二つ目は、小美玉市の『アトリエ プティ・ボア』(写真下)。ここは以前、近くを通ったことがあるが、何の建物か判らなかった。今回、それがカフェだと知って、思い切って入ってみた。製菓会社のショールームみたいなところで、何もかも「オシャレ」である。現代的なデザインのカフェが、人家もない広大なサツマイモ畑の中に忽然と現れる。その極端なコントラストには誰もが驚くだろう。味は?・・・それは書かないでおこう。

2019年6月16日

霞ヶ浦が見えた!



雲を見に霞ヶ浦に行った。石岡から玉里に抜けて、突然、切り通しの間から水面が見えたらドキッとした。どこか遠い地方の漁師町に紛れ込んだような気分になった。爽やかな風が吹き、空気が澄んで鋭い陽射しが照りつけていたからか。

2019年6月14日

マタタビの白い葉



今日、道祖神峠を通ったら、濃い緑の葉の中に白いものを目にした。これを見ると「梅雨だな〜」と季節を感じる。マタタビの葉である。
 マタタビは、花粉を運んでもらう虫たちを呼び寄せるために、葉の一部を白くさせて目立たせる。だから、目的も達した梅雨明の頃になるとこの白い色は消えて、また元の緑の葉に戻る。
 実は、この白い色は葉の表面の下に溜まった空気が、太陽光を散乱して白く見えるだけだ。これは白い花も同じ。別に「白い色素」があるわけでは無い。
 今度、峠を超えるときに見つけて欲しい。ただし、脇見運転には気を付けて!

2019年6月5日

宝篋山のこと




 今日の樹木調査は宝篋山だった。最近の宝篋山と言えば、中高年から初心者まで大変な人気の山で、今日も、平日だというのに大勢の登山者と出会った。しかし、歴史的な面から眺めると、ほぼ全山が仏教聖地であり戦乱の遺跡である。
 鎌倉時代の中期に小田氏の擁護のもとに、真言律宗の僧侶忍性は山麓の三村山極楽寺を拠点にして布教活動や土木工事、非人や癩者、貧者などの弱者救済を行った。今でも山中のいたる所に、石仏や五輪塔などが点在している。また、南北朝期には、南朝方であった小田氏は騒乱に巻き込まれ、その後の戦国時代には佐竹氏や上杉氏との戦場となり、そして破れた。
 脇に石仏が祀ってあるこの山道を、どれほどの人が血を流して死んでいったのだろうか?どれほどの人が世の平和を願いながら通ったのだろうかと思いながら、歩を進めた。