今、小屋の前に出たら、道路の向こうからアナグマが近づいて来た。3、4mの距離になっても気が付かない。お陰で、しっかり観察できた。ついに、僕に気付き、慌てて踵を返して逃げて行った。その慌てぶりが滑稽で笑ってしまった。最近、彼等を良く見かける。先日は、近くで巣穴を見つけたし、Oさんも目撃したそうだ。アナグマは、どことなく「鈍臭い」ところがあって憎めない。
2019年7月23日
2019年7月21日
2019年7月15日
小野の禅寺にて
流山から小屋に戻る途中で、ふと雨に濡れた苔の庭が見たくなって、トンネル近くの向上庵(臨済宗)に立ち寄った。苔や羊歯を踏まないように注意しながらゆっくりと石段を登って、本堂の前までたどり着いた頃には、もうすっかり落ち着いた気持ちになった。
誰もいない広い座敷で、住職から抹茶をいただきながら、座禅とお茶、そして精神医学との関連などについて長い間話した。僕が以前から知っている常北町の清音寺や古内茶とも深い繋がりがあることが解り、何か不思議な縁が感じられた。山裾の深い緑、静寂、そして古い歴史・・・と、僕の落ち着ける場所には共通するものがあるようだ。
八郷の山の反対側、車で数分のところに、こんな時間を超越したようなところがあるのは驚きだ。是非とも訪れることをお勧めする。それも観光客としてでは無く、豊かな時間をゆったりと味わう者として。
2019年7月10日
手接堂
先ほど、八郷下林の観音寺で映画”STILL LIFE"を見てきた。人の死とは何か、死者の人生とは何だったのか、それを見送るとは何かを考えさせられた。久しぶりに泣けた。
終わってから、皆で境内の西端に建っている『手接堂』をお参りした。ここは、田んぼの中を一直線に通っている通称「電車道」から正面の高台の上に見える(写真)から、多くの人は見覚えがあるだろう。本尊は金剛手菩薩(普賢菩薩)で、名前の通り、昔から「手を使って暮らしている人々」の心の拠り所であった。遠方から参拝に来て、手形や手袋などを奉納したそうだ。
いつまでも足腰が丈夫なようにと詣でる足尾神社は各地にあるが、「手」の信仰は珍しい。八郷は、ものづくりや文筆などで、日頃、「手」に大変お世話になっている人が多い。八郷に相応しい仏様だ。上記の者、必ず一度は参拝すべし(笑)!
いつまでも足腰が丈夫なようにと詣でる足尾神社は各地にあるが、「手」の信仰は珍しい。八郷は、ものづくりや文筆などで、日頃、「手」に大変お世話になっている人が多い。八郷に相応しい仏様だ。上記の者、必ず一度は参拝すべし(笑)!
2019年7月8日
ジェンショ様を探した
先日、やっとのことで「ジェンショ様」を見つけた。判らないはずだ。それは旧家の裏庭を登った先にあった。
16世紀の前半、三河の足助一族が、うち続く戦乱の世に辟易して、平穏な暮らしを求めてはるばる八郷の月岡や青田にやって来て土着した。「ジェンショ」は「十二姓」の意で、その時に一緒に来た12人の武将たちの苗字である。今でも、子孫たちは大切に祀っている。
なぜ八郷にかというと、すでに当時、常陸の国は「上国」で「天府の国」だと全国に知れ渡っていたらしい。それに当時、八郷一帯(北の郡)を支配していた小田一族からの誘いもあったようだ。
もうこの頃から、八郷は戦いを避けて静かな暮らしを希求する人たちが集まる場所となっていたのだ!
2019年7月3日
静かな朝食
2019年7月1日
八郷の海岸を見つけた
八郷の瓦谷で、「海岸の砂浜」を見つけた。笹や草の茂る地表の下、1〜2mのところに分厚い砂の層が横たわっていた。ここは大昔、海岸だったのだ。もっとも、昔と言っても20万年前もの話だけど。
八郷のゆったりと波打つ丘を眺めていると、打ち寄せる波音が聞こえてくるようだ。
登録:
投稿 (Atom)