今から30年以上も昔、まだ、僕が独身だった頃、親父からもらった5万分の1の地形図に鉱泉マークがあるのを見つけて訪ねたのが最初である。その後、数年前、一度、友人と来たきり、ずっと忘れていた。
風呂も、この雰囲気が続いていて、大正か昭和初期の湯治場のようである。あるいは、地方の小さな町のうらぶれた銭湯のようでもある。 脱衣場には、すすけた半裸女性の浮世絵が置いてあるし、鏡などは何が映っているのか分からない。湯船は、地元産の御影石で出来ていているが、これも年代物で黒ずんでいる。窓が無いためか、全体がほんのりと薄暗く、その中で、壁の漆喰に描かれている周辺の山並みが湯煙にぼんやりと浮かんでいる。
このように書くと、敬遠される方もいるかもしれないが、肝心のお湯は、実に素晴らしい。肌に軟らかく円やかな感じで、いわゆる最近の何とか温泉みたいな塩素臭がまったくしない。やや温めの風呂にたっぷりと身体を沈め、じっと目をづぶっていると、心から満ち足りた気分が湧き上がってくる。「いろいろあったけど、いま、こうしていられるのは嬉しいことだ」と。
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