2013年11月15日

西方浄土

 笠間のY先生から筑波山ビジターセンターで展示するキツネの剥製を借りて来た帰り、石岡と八郷の境にある龍神山の麓までさしかかると、まさに筑波山の向こう側に秋日の太陽が沈もうとしているところだった。常陸国の国府と国分寺が置かれた場所は、ちょうど、この龍神山と筑波山を結ぶ線上に位置している。きっと、はるか昔、国府の人々も、こうした光景に向かって手を合わせたのに違いない。やはり、筑波山は、古代から現在に至るまで、ずっと特別な信仰の山であることを、改めて認識した。振り返ると、東の空に虹がかかっていた。

『いまをさること十劫の昔、阿弥陀仏は成道して西方十万億の仏土をすぎた彼方に浄土を構えられた。そして、現在でも、この極楽で人々のために説法している。この極楽という仏土は広々としていて、辺際のない世界であり、地下や地上や虚空の荘厳は微をきわめ、妙をきわめている。この浄土にある華池や宝楼、宝閣などの建物もまた浄土の宝樹も、みな金銀珠玉をちりばめ、七宝乃至は百千万の宝をもって厳飾されている。しかも、それらは実に清浄であり、光明赫灼と輝いている。衣服や飯食は人々の意のままに得ることができ、寒からず暑からず、気候は調和し、本当に住み心地のよいところである。また、聞こえてくる音声は、常に妙法を説くがごとく、水鳥樹林も仏の妙説と共に法音をのべる。したがって、この浄土には一切の苦はなく、ただ楽のみがある。』 (Wikipediaの「西方浄土」より)


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