2019年11月24日

黒羽の「おくのほそ道」を探して

 雨が続いて、予定した山歩きは中止になった。でも、僕は、午後からは雨も止んで晴れると読んだので、予てから行ってみたかった那須の黒羽に車を走らせた。黒羽は、元禄2年(1689)4月(陽暦5月)に、松尾芭蕉と曽良が『おくのほそ道』の全行程でもっとも長い14日間滞在したところである。その間、黒羽の館代浄法寺図書(桃雪)と鹿子畑翠桃兄弟の家に泊まって、周辺の伝説や歴史の地を歩いている。僕も、そのうちのいくつかを廻ることにした。ただし、車で(笑)。



 先ずは、芭蕉が泊まっていた『旧浄法寺邸』からスタートした。昼近かったが、雨はいっこうに止む気配が無い。見学者は僕一人であたりはシーンと静まり返っている。広大な庭園は霧雨に包まれていて、しっとりと雨に濡れたもみじの紅葉が鮮やかだ。細い杉木立の道をたどった先には、「山も庭もうごき入るや夏座敷」の句碑がひっそりと建っていた。




 次は、すぐ近くの黒羽城の三の丸跡に建てられた『黒羽芭蕉の館』である。これは太田原市営の芭蕉をテーマとした小規模なミュージアムである。展示内容は、大したことなかったが、ここで一つ発見があった。蕉風俳諧の始めと言われる有名な「古池や、蛙とびこむ・・・・」の句が、彼の座禅の師家である仏頂和尚との問答の中で生まれたと書いてある書『芭蕉翁古池真伝(慶応四)』が展示されていたことである。これまでの俳諧は、金持ちの言葉遊びみたいなものだったが、それを変革して芸術にまで高めた芭蕉の背後には、やっぱり禅があったのだ。こうなっては、仏頂和尚の山居があった雲巌寺へ行かないわけにはいかない。芭蕉も行った。



 黒羽から10キロ以上も山に入ったところに『雲巌寺』はある。この寺は臨済宗妙心寺派の名刹で、開山は平安時代後期とされているが、一旦は荒廃して、その後、弘安6年(1283)に北条時宗を大旦那として、高峰顕日(仏国国師)が改めて開山した。禅宗の日本四大道場の一つである。と言うよりは、吉永小百合のJR東日本「大人の休日倶楽部(黒羽の芭蕉編)」で見た方も多いだろう。仏頂和尚の山居は、正面右の庫裏の背後にあったと言われ
ているが、禅を修行する寺であるが故に、一般者は奥には入れない。
しかたがないので、山門の脇にある芭蕉と仏頂和尚の句碑を写して寺を後にした。

 「縦横の五尺に足らぬ草の庵 
   むすぶもくやし雨なかりせば」 仏頂和尚
 「木琢も庵はやぶらず夏木立」 芭蕉 

 やはり、芭蕉の句は現地に行って見なければわからない。寺は、鬱蒼とした巨木の杉、檜に囲まれていて、奥からキツツキの突く音が聞こえてくるかのようだった。




 最後は、西行ゆかりの『遊行柳』である。それは、現地に行って見ると国道294号線脇の田んぼの中にポツンとあった。そこそこ大きなシダレ柳が2、3本と桜の木があるだけ。根元には苔むした西行の歌碑、芭蕉や蕪村の句碑が散らばっている。説明板が無ければ、その辺のどこにでもある田んぼ脇の空き地のようだ。しかし、ここは謡曲や芭蕉の句で有名なところである。きっと、柳の木そのものより、すぐ側には奥州街道(現294号線)が通っていて、10キロも先は白河の関だから、長い年月の間には様々な歴史の出来事が錯綜した場所なのだろう。周りの田んぼは、稲刈りがすっかり終わって、水たまりが冷たい空を映していた。

 「田一枚植えてたち去る柳かな」 芭蕉


おまけ:吉永小百合さんのCM → 「大人の休日倶楽部(黒羽の芭蕉篇)」ロケ地情報





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