2021年7月7日

庭の生飯台


庭のカツラの木の根元に『生飯台(さばだい)』がある。夕方、この石の上にほんの少しの食べ物を置いておく。そして、小さな声で「汝等鬼神衆 我今施汝供 此食遍十方 一切鬼神共」とつぶやく。意味は、「鬼神たちよ!いま私はあなた方に食事を供養する。この食事が普くすべての生きものたちに届かんことを」というもので、それは、目に見えない鬼神たちや、三界の万霊、そして自然界の小鳥や昆虫や動物たちに食べ物を分け与えて供養しようとするものである。
 禅宗(曹洞宗)の修行道場では、食事の時に、自分に配膳されたご飯やおかずの中から、この「生飯の偈(さばのげ)」を唱えながら七粒のご飯を選り分けて、それを集めて生飯台の上に供えるのである。これは、ありとあらゆる一切の他者に食事を与えるという施しの心を表している。
 僕はこの禅の作法をとても美しく感じる。この施しの心が素晴らしいと思う。自分もやってみたくなったので、真似して生飯台を作ったのだ。いつも夕飯のごく一部をこの石の上に置く。すると、不思議なことに、朝起きてみるとすっかり無くなっている。夜中、僕が寝ている間に、鬼神たちや餓鬼衆、生きものたちがやってきて食べているのだろうか?いつか、無人カメラでも仕掛けておいて、一体、誰が食べているのか確かめたい。案外、我が小屋の「鬼神」は、ピーだったりして(笑)

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