更に、しばらく西に車を走らせた。何気なく、全く無意識に太い村道からそれて集落内の細い道に入り込んだら、その突きあたりに、また古びた案内板が現れた。僕はこういうのを無視できない。辺りは、少し荒れた感じの集落のはずれで、それは廃屋と放置された牛舎の間にあった。案内板には『御門御墓』とある。何と!この地は平将門の居館があった所と言われ、非業の死を遂げた将門の霊を恐れて五輪塔を建立して供養したものだという。この五輪塔は鎌倉時代初期のものだとわかっている。
平将門が東国に新たな国を建設し、自らを「新皇」と称したので、それが居たところの意味で、この地を「帝(みかど)」、その後「御門」、そして現在は「三角」の文字を当てている。そして、その后を祀った神社があるところの現在の地名は、「木崎(きさき)」である。
『御門御墓』を外部から訪れる人は、まずいないだろう。僕は、何故か「導かれる」ようにして、この二つの遺跡を訪ねた。でも、墓にはお賽銭と生花が供えてあった。千年以上も経たのに、まだまだ、地元の人にとっては将門の霊が生きている。西に向かうと、至る所で将門の亡霊と出会う(笑)。
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