2021年9月27日

龍角寺周辺を歩く

  

 流山の自宅の戻るのに、今回はさらに足を伸ばして千葉県栄町の龍角寺とその周辺の古墳群を訪れた。雑木林の道を進むと、突然、前方に巨大な古墳が現れた。国指定史跡の「岩屋古墳(竜角寺古墳群105号)である。墳丘は3段で、東西108メートル、南北97メートル、高さ13.2メートルの方墳である。造築年代は古墳時代末期の7世紀前半から7世紀中期ごろと考えられている。大きいはずだ、この時期の方墳としては全国第一位の規模である。石室は中腹の南面に2基ある。その材料はこの地方の貝の化石を含んだ木下層の凝灰質砂岩であるが、興味深いのは、石室の一部に筑波山周辺の変成岩が使われていることだ。わざわざ、何らかの方法でここまで運んだのだ。


 次は、古墳群の名前になっている「竜角寺」を目指した。それが、この辺特有の凹凸のある地形の間を縫うようにしてナビに従って田舎道を走ってもたどり着かない。二度も地元の人に聞いたがわからない。そのはずである。お寺は集落の一角に位置していて、ただ、巨木が生えている広場に古い石塔群や小高い盛り土があるだけだった。「龍角寺」といえば、関東地方でも最も古い寺の一つで、国指定重要文化財の「薬師如来坐像」があったりして有名だから、大きな伽藍でもあるのかと思っていたのが間違いだったのだ。しかし、この龍角寺は確かに古い。和銅2年(709年)に、竜女化来して、一夜のうちに諸堂(金堂、塔)を建立し薬師如来像を祀ったと伝えられている。発掘調査でも当時の伽藍の遺構や軒丸瓦が発掘されている。
 写真の小高くなったところが金堂の跡で、中央に穴の開いた大きな石が塔の心礎の趾である。この石は「不増不減の石」と言われ、中央の穴に溜まった水はどんな日照りの時でも枯れることはないと言われている。僕が見た時にもしっかりと水が溜まって曇り空を映していた。



 この二つ、古墳群と龍角寺は深く関係していると思われる。いずれも造られた年代が、そう遠くないのである。同じ一族のものだろう。
南は印旛沼、北は、現在は利根川の低地だが、当時は霞ヶ浦に続く海である。こうした水に囲まれた丘陵地帯を中心に一大勢力を誇った勢力が存在したのに違いない。「水」と言えば「龍」である。





1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

以前に友人と白鳳仏を拝観するため訪れました。住職さんが、当日外出で、仏様は点灯しておくとのことで外から覗いただけでした。
http://www.umesatoclub.com/~mizuno/07shajivisit/ryukakuji/kaisetu.html