2012年12月27日

猿壁城に登る



  以前から猿壁の山に登ってみたいと思っていた。ここは、中世の頃、猿壁城という山城があった場所だ。足尾山から張り出している尾根の先端にあって、八郷盆地に突き出ているような形をしている。その東斜面が急な崖になっていて、八郷の人なら、誰でも知らない人はいない。先日、船橋さんのログハウスを見学に行ったとき、その背後にそそり立っている猿壁を間近に見て、ますます登りたくなったので、今日思い立って出かけた。ログハウスの屋根の上で作業している彼らを横目に見て、林道を更に進んだ。泉のところに車を止め、頂上を目指して登った。昔は、集落と集落を繫ぐ峠道があったののに違いない。わずかな地面の凹みが、昔は山道だったことを示している。遠くからログハウスの屋根を打っている音が聞こえる。
 植林の中を20分ほど直登すると、山頂近くになって、明らかに人手による堀跡が現れ、やがて土手のようなものが行く手に立ちはだかり、そこを越すと次はすこし平らな場所に出た。どうやら、堀は、山城の「堀切」で、土手らしいものは土塁、平らな場所が館跡(「主郭」)らしい。規模は思ったより小さいが、土塁と堀切、そして平らな場所と切通しと、複雑な構造をしている。『八郷町史』によると、この猿壁城は、戦国時代の頃、小田氏の一族である上曽氏の城だという。この城は、非常時に逃げ込む山城との見方もあるが、二重の堀切や、そのテクニック、構造から、より大きな軍事行動を行う集団の城と解釈できるともあった。当初は、ここからの眺望を期待して登ったのだが、周囲はヒノキや杉の植林で遮られて実現しなかったものの、中世の遺構が比較的良い状態で残っていたので、十分満足して帰路についた。

 ところが、いざ、車を車道にバックしようとした時、泉の水を流す側溝にタイヤを落としてしまったのだ。どうしても出ない。困り果てて、とうとう小田島さんに救援の電話をしてログハウスで作業している全員に駆けつけてもらい、やっとの事で溝から引き出してもらった。これは、数百年の間、静かに眠っている武士たちの場所に勝手に立ち入ったことの罰かもしれない。でも、考えようによっては、ほとんど人の通らない山道であるにも係らず、丁度、近くで知り合いの皆さんが作業していて、しかも、お昼休みで屋根から降りていて、携帯電話がちゃんと小田島さんに届いたなんて、これは相当にハッピーなことともいえる。助けていただいた皆様、本当にありがとうございました。




 

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