2013年1月15日

アジールとしての八郷

昨日は一日中雪が降っていたし、今日はその雪が凍り付いて車で出かけるのが怖い。仕方が無いので、一日中、借りてきた本を読んでいた。おかげで随分進んだ。その中の一冊、網野善彦の『「忘れられた日本人」を読む』(岩波書店2003年)は、講座が基になっているので読みやすく、たいへん面白かった。その中に「アジール」という言葉が、時々キーワードとして出てくる。「アジール」とは、もともと聖域、自由領域、避難所、無縁所などを意味する特殊なエリアのことで、この中に入ると、世俗の縁、関係や制度、しがらみ等の絆がすべて切れて自由な個人になる場のことである。だから、罪人がこの中に逃げ込むと捉えることが出来ない。彼によると、もともとは日本社会ではこのような「無縁の場」が多数存在していたという。そして、その多くは山林にあったという。戦国時代には、村の奥の森に「山小屋」があって、何か事が起こり戦争などがあると、村人はこの「山小屋」に籠ってしまう。中世の山城や屋敷、寺院、神社、かがい(歌垣)などもそうだという。一時的なものとしては、市や祭りなどの時にも出現する。
 以前、誰かから、筑波山の周辺にも、このようなアジールらしい場所があったと聞いた事がある。確かに、筑波山は、普段の夫婦の関係が切れてただの男と女になる「かがい(歌垣)」が行われた場所で有名であるし、中世にはいたる所で戦があった。また、古くから山岳宗教が盛んで、江戸時代には強力な権力を背景にした神社(寺)もあったので、アジールがあったとしてもおかしくない。
 そういえば、八郷盆地に住んでいる人の中にも、都会や現代社会の価値観、人間関係や社会に疲れてあるいは疑問を抱いて、それらと決別し、峠を超えて、八郷の美しい自然と人氣に癒しを求めて移住してきた人が少なからずいるように思える(本人は自覚していなくても)。そういう意味では、八郷は現代のアジール的な存在なのかもしれない。
そこで、はたと気がついた。僕の「木守小屋」も、本当は「隠り小屋」なのかもしれないと。


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