右が異形人形、左奥が古墳 |
小屋に戻ってから、藤田稔の『茨城の民俗文化』(茨城新聞社 2002)を見たら、この人形に似ているものとして「大助人形(おおすけにんぎょう)」というのがあった。北浦町南高岡では、二体のわら人形を村境に立て、疫病神が村に入るのを撃退してもらうと言い伝えられている。また、那珂郡大宮町では、毎年7月十日夕刻、麦わらで人形をつくり、厳めしい武者の顔を描いて、腰には茄子のつばをつけた竹刀を腰に差し、トウモロコシの葉でたすきをかける。懐に小麦まんじゅうを入れて、子供らが「おー鹿島のおーたすけ、鬼に勝ったみーさいなー」と叫びながらこの人形を村はずれに運ぶそうだ。これらは「鹿島信仰が農村の習俗と融合して、厄難除けや豊作、豊魚の神、安産の神として、庶民生活の中に浸透していった」ものだと説明されていた。おそらく、関川の異形人形も、この流れをくむものだろう。
現在、関川地区では、隣接する四集落(長者峰、ダイダ、他2つ)だけが祀っている。この四体を見て回ったが、あるものは巨大な藁の金精様を持っていたり、真っ黒な顔に赤い隈取りなど、表情や造りが微妙に違う。集落で強さや恐ろしさを競っているかようだ。あるお宅では面白いものがあるからといって案内してくれたところには、前方後円墳の脇に立派な石の金精様が鎮座していた。古墳群、金精様、鹿島信仰、長者峰・ダイダという地名、オオ氏一族、そして異形人形・・・この地域には、現在でも日本のプリミティブなものが健在しているようで嬉しかった。
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