山根盆地(八郷盆地)自体が隠れ里である。その中でも、最も「隠れ里」らしい集落が、Mである。足尾山麓の東斜面に張り付くようにしてひっそりと佇んでいる。集落の中を流れる沢が、前面に広がる谷津の田んぼを潤す。この隔絶したような土地が故に、子どもたちは学校でバカにされたと聞く。
前々から関心があったので少し調べてみた。やはり、ここはタダモノでは無い。地名Mの初出は、戦国期の文禄五年(1596)の『御蔵江納帳』で、『八郷町誌(1970)』によれば「宇治会館の領主であった路川氏が、佐竹に追われて足尾山麓に隠退した」ところとある。なぜ追われたかというと、路川氏が、敵対する小田氏と同族である宍戸氏の一族だからだ。この地も八郷に多い室町時代の合戦の記憶をかすかに留める場所の一つである。こうした歴史を証明するかのように、わずか十数戸の小集落の中に、地方にしては珍しく本格的な建築である長樂寺がある。この寺は、寺伝や寛永十年(1711)の鐘銘によれば、なんと創立は天長元年(824)であるというから、もしかすると、この集落は、はるか戦国時代を越えて、さらに古い歴史を持っているのかもしれない。
石垣に寄りかかって休んでいた地元のおばあちゃんに、お寺の場所を聞いたら丁寧に教えてくれた。その通りに杉木立の間を進むと、突然、華麗ともいえる本堂が現れた。まだ、先日降った雪が残っていて、反射した光が庇の見事な彫刻を明るく照らしている。辺りの凛とした空気が寺をすっぽりと包んでいた。
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