2016年9月9日

流山を散歩して



 いつもは、流山の自宅に帰ると家内から言いつけられた仕事を大急ぎで片付けて、逃げ帰るようにして八郷の山小屋に戻るのだが、昨日は、多少時間ができたので、近くの『TX おおたかの森駅』周辺まで散歩した。しかし、その周辺の変貌ぶりには、まったく驚かせられた。昔といっても十数年前ことだが、当時の面影はまったく無い。以前、不気味なほど暗い林だったところが、今は、どの辺だかわからない。裏に大きな樫の木の屋敷林を背負った農家はどこかに消えて、広大なぶどう畑だったと思われるところには、街路樹が茂る太い道路が横切り、その両側には高層のマンション群やショッピングセンター、クリニックなどのビルが林立している。その「オシャレな」石畳の上を、綺麗な若い女性たちが着飾って歩いている。可愛い子供達が、追いかけっこしながら通りすぎる。ショッピングセンターに入ると、色鮮やかな商品の山や美味しそうな食べ物のショウウインドウが眩しい。・・・唖然とした。いつの間にか、僕は「浦島太郎」になってしまったらしい。異邦人の気分である。

 そこで、この光景を眺めながら、ふと、中国の弾圧からフランスに逃げたあるチベット仏教の高僧の話を思い出した。高僧は、通り過ぎるパリの街をタクシーの窓から眺めながら思った。「もしかすると、これが仏教でいう『天上界』なのではないか。人々はみな美しく、清らかに見える。まるで『天人』のようだ。しかし、よく見ると、どこか寂しげで不安を抱えているようだ。どうやら、いつ、突然に、この幸福な状態が壊れて、餓鬼や阿修羅、人間、畜生に生まれ変わるかもしれないという心配で心がいっぱいなのかもしれない。やはり、自分は人間でよかった。」と。

 僕も、やはり田舎人で、良かったと思った。





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