一旦はベットに潜り込んだものの、今夜は、「仲秋の名月」だと気が付いて、また起きて空を見あげた。美しい月が輝いていた。この本を紹介するなら、今夜をおいて他には無い。
毎日のようにニュースから欲望や無知から生ずる不幸な出来事や悲惨な事件が流れてくる。まるで、仏教でいう六道の地獄や阿修羅の世界からの実況中継のようだ。やっと寝付けて、楽しい夢でも見ようかとしても、夜中に目が覚めて漠然とした心配事が気になって眠れない。
こんな時の為に、『寒山拾得』(久須本文雄訳、解釈 講談社1995)が、常に僕の枕元には置いてある。ページを適当にめくって、2、3の漢詩を拾い読みする。そして何度も何度も解釈や情景の想像を繰り返しているうちに、不思議なことに、いつの間にか眠ってしまう(笑)。
毎日のようにニュースから欲望や無知から生ずる不幸な出来事や悲惨な事件が流れてくる。まるで、仏教でいう六道の地獄や阿修羅の世界からの実況中継のようだ。やっと寝付けて、楽しい夢でも見ようかとしても、夜中に目が覚めて漠然とした心配事が気になって眠れない。
こんな時の為に、『寒山拾得』(久須本文雄訳、解釈 講談社1995)が、常に僕の枕元には置いてある。ページを適当にめくって、2、3の漢詩を拾い読みする。そして何度も何度も解釈や情景の想像を繰り返しているうちに、不思議なことに、いつの間にか眠ってしまう(笑)。
この作者の「寒山」という人物は、中国の唐時代に生存したとされているが、実在したかどうかも疑わしい。何しろ「蓬頭垢面、断衫破衣」、まるで浮浪者のようで、険しい山から里に降りて来ては食料を貰い、壁や木や石に詩を書きつけたという。それらを収集したものが『寒山詩』である。寒山詩では、悠々自適の境界、自然風景、自由の境地、人生の教訓などが詠われている。いずれの詩も超俗的であり極めて格調が高く、禅味溢れるものばかりだ。
その中の一つ、今夜の月にふさわしい、有名な詩を紹介する。
「吾が心秋月に似たり 碧潭(へきたん)清くして皎潔(こうけつ)たり
物の比倫に堪(た)うる無し 我をして如何(いかん)ぞ説からしめん」
現代語訳「自分の心は、秋の夜空に輝く明月が、澄みきった緑の深い淵の底までも、清くすき通って光り輝いているのに似ている。この清明な心に比べることのできるものは外に何もない。それで、どう説明したらよいのかその言葉もない。(久須本文雄訳)」
「吾が心秋月に似たり 碧潭(へきたん)清くして皎潔(こうけつ)たり
物の比倫に堪(た)うる無し 我をして如何(いかん)ぞ説からしめん」
現代語訳「自分の心は、秋の夜空に輝く明月が、澄みきった緑の深い淵の底までも、清くすき通って光り輝いているのに似ている。この清明な心に比べることのできるものは外に何もない。それで、どう説明したらよいのかその言葉もない。(久須本文雄訳)」
こういう境地にはどうしたらなれるのだろうか? どんな修行をすればいいのだろうか?
・・・「あっ! いつの間にか日付けが変わってしまった。もう眠れるだろう(笑)」
1 件のコメント:
これまで、記事はフェイスブックを中心に投稿しましたが、これからは、このブログ『木守小屋にて』を主に、フェイスブックを従にして投稿します。よろしくお願いします。 (2019年9月18日)
コメントを投稿