大型の台風が近ずきつつあるというのに、今日は筑波山の山頂で開催されている臨時のビジターセンター『筑波山の自然展』に参加した。山頂は、朝から霧に包まれていて展望がきかない。登山者も来場者もまばらである。そんな日でも、時折、雲海の上に周囲の山が顔を出す。
写真は、加波山(左)から足尾山=葦穂山(右)の山並みである。その中央の凹みが、「有名」な一本杉峠である。以前は真壁側と八郷側を結ぶ道路が通じていて車も通れたが、現在では真壁側に降りられない。なぜ「有名」かというと、昔、この峠は西側の新治郡と東側の笠間や国府を結ぶ重要な交通路だったからである。『常陸風土記』に、「新治郡の郡衙(旧協和町付近)の東五十里の所に笠間村があり、そこへ通うには葦穂山を超えねばならない。古老がいうには、ずうっと昔のこと、葦穂山には、アブラオキメノミコト(油置売の命)という山姥が住んでいて、峠を越えようとする旅人を襲って殺し物品を奪った」との伝説が記されている。その後、山姥が住んでいたと言われる石室は、万葉集の中で何首も謳われている。次の情熱的な歌が有名である。
「こちたけば をはつせ山の岩城にも 率て籠もらなむ な恋ひそ我妹」
意味は、皆から二人の仲を言い騒がれて、うるさいから小泊瀬山(葦穂山)の岩室に、あなたを連れて行って一緒にこもろうよ!私の愛しい人よ! というものである。
多分、僕は、この「アブラオキメノミコト」というのは、大和朝廷によって滅ぼされた原住民すなわち「土蜘蛛」と言われている人たちの生き残こりではないかと思っている。だから、女山賊という悪者に仕立てたというような気がする。
岩室なら、現在でも残っているはずである。誰か一緒に探しに行きませんか? 決して「率て籠もらなむ」なんて言いません(笑)。
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