生まれて初めて「スタンプ・ラリー」なるものをやってきた。昨日と今日は、二年に一度の笠間市の文化財公開日だった。普段では見ることができない貴重な文化財が、この二日間に限って特別公開されるのだ。しかも、専門家、大学生や高校生による解説と資料付きである。こんなことは滅多にない。ずっと前から楽しみにしていた。
特に、僕は今回公開されている文化財のうち、国指定重要文化財となっている弥勒協会の「木造弥勒菩薩立像」、楞厳寺の「木造千手観音立像」、それに岩谷寺の「木造薬師如来立像」をぜひとも拝観したかった。これらの仏像は、鎌倉時代に初代笠間城主の笠間時朝が発願して作らせた「笠間六仏」言われるものの内の現存する三体である。他に時朝は京都の三十三間堂にも二体の仏像を寄進している。いずれの仏像も優美で、やや高い位置から澄み切った眼差しを優しく投げかけている。なぜ、こんな田舎(失礼!)に、これほどの仏像が集中しているのかを解説員に投げかけたところ、時朝は、京都の冷泉家ともつながりのある歌人でもあり、高い教養人だったという。都と北関東の笠間とが、もうこの頃から文化的に深く繋がっていたとは驚きである。岩谷寺の薬師如来立像の後ろに回って、背面に「建長四年壬子七月 従五位上行長門守藤原朝臣時朝」という刻銘を見つけた時は感動した。800年の時を経て、僕の前に立っている!
弥勒協会の「木造弥勒菩薩立像」も印象深かった。笠間市街の北方、細い集落の道を進んだ山中にそれはあった。かつてここには「石城寺」という寺院があったが、明治の廃仏毀釈で廃寺になった。その後、弥勒仏立像は村人などによって保管されていたが、ついに石城寺跡にお堂が建てられ管理されることになった。なぜ、こんな奥地にという疑問は解けないが、この仏像は笠間時朝が最初に作らせた仏像であり、彼にとって殊の外思い入れのある仏像なのに違いない。なぜなら右足の内側に「時朝同身(之)弥勒」と墨書されているからである。自分と同じ背丈に造らせたのだ。弥勒菩薩像は、山の斜面からやや上向き加減の澄んだ眼差しで遠く笠間盆地の方角を眺めている。笠間が浄土であるようにと。
ここまで来たら、スタンプが3っそろった。案内の人が、あと一つ何処かに行けば、記念の「絵葉書セット」が貰えるという。これまでの仏像は全て撮影禁止である。そこで仏像の絵葉書がどうしても欲しくなった。残り時間は1時間。急げば間に合う。という訳で、笠間の「真浄寺」と手越の「東性寺」を回って、念願の「記念 絵葉書セット」をもらうことができた。結果、笠間市教育委員会生涯学習課の意図した通り、思いがけず「スタンプ・ラリー」に参加してしまった。
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