2020年1月21日
益子の西明寺にて
今日は、生きている人間より、出会った仏像の方が数が多いかったかもしれない。まずは、西明寺の本堂の向かう石段の両脇の石仏、そして厨子内の十一面観音菩薩、聖観音立像、馬頭観音立像、如意輪観音坐像、准胝観音立像、延命観音立像、勢至菩薩立像、毘沙門天立像などの仏像群である。さらに閻魔大王と両脇侍たちである。帰りは、茂木から城里を回ったが、その途中の山里では多くの野仏が迎えてくれた。
この西明寺は、真言宗豊山派の寺院で、歴史は天平年間(729-749)で行基が開山したと伝えてられているから極めて古い。参道や本堂の周辺には、椎の大木が茂り、リンボクやヤマモモなどの暖地の樹木も生育する。コウヤマキやクスノキの巨木もある。これらの巨木群が、いかにも1300年の歴史を持つ古刹の雰囲気をつくっている。重要文化財3点、県指定有形文化財7点、県指定天然記念物2点と宝庫のようなところだ。坂東三十三箇所の第20番目札所でもある。
僕にとって、この寺は特別なところである。最初に訪れたのは、今から五十年近く昔になる。妻と二人で益子駅から歩いて、街並みを抜け山裾を巡って、やっと辿り着いた思い出がある。かすかに記憶に残るその時の光景は、今でもあまり変わっていないように思える。その後、何度か訪れたが、印象深いのは、三年前の早春、偶然に前住職の田中雅博さんが亡くなられた朝に居合わせたことである。張りつめた閑寂の中に安らかさがあたりを包んでいたのを今でもはっきり覚えている。田中雅博住職は、国立がんセンターの研究所室長をされてから、仏教を学んで西明寺を継いだ。自分が末期ガンであることを知りながら、平然と病気などで苦しんでいる人を励ましている姿には深く感動した。彼の著書からも、多くを学ばさせてもらった。
今日も偶然に、住職を引き継いだ奥様の田中貞雅さんとお会いすることができた。前住職のこと、これから寺を引き継ぐお嬢さんのこと、寺の樹木のことなどを話した。これからも、この寺の雰囲気を大切にして未来に引き継ぐという。安堵の気持ちとともに、また一層、この寺との縁が深くなったのを感じた。
帰り、知らない山里の道を走っていたら、午後の光が、何体もの路傍の石仏を照らしていた。車を止めて写させてもらった。はるか昔の人々の願いが、硬くて冷たい石を通して伝わってくる。
(西明寺の境内にあるお休み所『独鈷処』の蕎麦は、安くて美味しいことを追記しておく)
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