2018年5月14日月曜日

ノイバラの花


 僕の庭で誇れる花があるとすれば、ノイバラである。庭の中央に大きな株があって、毎年この季節になると真っ白な花をたくさん咲かす。バラの株に近づくと、「ブンブン」とミツバチやマルハナバチなどが盛んに花から花へと忙しなく飛び回っている。目をつぶって、この羽音をきながら甘い香りを嗅いでいると、「平和」とは、こんな気分なんだろうなと思えてくる。
 このバラの株は僕が植えたわけでなく、育てているわけでもない。僕がくる前から生えていて、どんどん周囲に広がっている。まあ、雑草のようなものであるが、どうしても刈り取る気になれない。もっとも、刈っても、すぐ根っこから萌芽するだろうから、そんな無駄なことはしない。ウキペディアを見たら、学名の小種名(multiflora)は、「花の多い」という意味で、房咲きの園芸種バラの原種だそうだ。庭の花を見て納得した。


2018年4月13日金曜日

秘密の散歩道


 昨日、Iさんとその仲間と一緒に山小屋周辺を散歩していて、素晴らしい場所を発見した。この散歩コースの途中には、巨石が重なる龍神様や中世の薬師如来が鎮座している薬師堂などの史跡がひっそりとある。今回見つけた「秘密の場所」は、それから尾根道を少し歩いた先にあった。

 そこは、最近、森を伐採したので、広く展望が開けるようになったのだ。八郷盆地が360度眺められる。僕はこんな場所を他に知らない。盆地を取り巻く山並みが全て望められる。はるか遠くに見えるのは鹿島、その先は太平洋の水平線。反対側には筑波山が迫る。北を向けば、難台山、吾国山、そして加波山、足尾山に連なる山並み。南を向けば、半田山、権現山から朝日峠、宝篋山に連なる山並み。麓の田んぼに水が入って、キラキラ輝くのは、もう間もなくだろう。視界いっぱいに広がる山肌は、例年より早い新緑にあふれている。針葉樹の深い緑と芽吹いたばかりの落葉樹の緑の対比が美しい。山の「笑い声」が、うるさいくらいだ。


 こんな場所を山小屋の近くで見つけられたのがたまらなく嬉しい! 山小屋を出て1時間半もすれば一周できるのだから。ここを知っているのは、伐採の作業員と僕らだけのはず。「場所を詳しく教えて欲しい」と言われるかもしれないが、当分の間は「秘密の場所」にしておきたい(コッソリなら教えていいけど ー笑ー )。



2018年3月5日月曜日

これがピーだ!



 先日、若い女の子が小屋に来た。僕の顔を見るなり、「たった今、入口の坂のところでタヌキを見た」と言う。彼女は「まだ、あそこにいる」と言って林道を指をさす。
「あれは僕のところの猫だよ。ピーと言うんだ。ピーが見られたなんて、君はすごくラッキーだと思わなくてはいけないよ。小屋に来た人で、ピーと会える人は稀なんだから」

 確かに、暗褐色の長毛で、少し太りきみのピーを後ろから見れば、タヌキと間違うだろう。特に冬季のフワフワ、ムクムクした毛皮はタヌキに見える。内心、猟師に鉄砲で撃たれでもしないかと心配しているくらいだ。しかし、正面から顔付きを見れば、すぐわかる。第一、こんなに可愛いくてハンサムなタヌキがいるはずがない!

 昨夜は、よく晴れた満月の暖かい晩だった。風邪をひいて、昼間寝ていたから真夜中に目が覚めた。ベッドの窓から、青白い月光が落葉樹の庭に注いでいるを何気なく眺めていた。そのときである。黒い影が、木々の間を走り回っている。目を凝らしてよく見ると、ピーだった。寒い冬が終わって、また、美しい夜が巡って来たことに浮かれているだろうか。小屋に戻って来たところを捕まえて説教してやった。「こんな晩に、こんな行動をとるから、タヌキに間違われるのだ」と。 
(もしかすると、ピーはタヌキが猫に化けたのか?(笑))




2018年2月21日水曜日

地下の大師像




 十数年も昔、僕が八郷の地に足を踏み入れた初期の頃、集落のお婆さんから「子供の頃、穴蔵の中に、たくさんの仏様が祀ってある場所に行った記憶があるが、今ではそこがどこだか分からなくなってしまった。見つけたら教えて欲しい」と言われた。それからしばらくして本格的に八郷に棲むようになってから、それらしい穴蔵を見つけた。

 朝日トンネルを抜けて、八郷盆地に入って間もなく道路の左手に丘陵が現れる。その頂の栗林の中に、小山が見える。岩谷古墳である。注意すれば、運転していても見える。大きさは径15〜18m、高さ2mの円墳で、横穴式石室がほぼ南に開口している。数えてはいないが、石室内部の玄室と前室には、かなりの数の大師坐像が安置されている。聞くところでは、江戸時代に地元の大師信仰者によって寄進されたものだそうだ。石室やその入り口に使われている石材は立派なもので、丁寧な加工が施されている。
 確かに、幼い女の子が、お婆さんらに連れられて、ここを訪れたとしたら大変な驚きだっただろう。穴蔵の暗闇に、ボッーと浮かび上がる無数の仏像。カビ臭く、湿った土の匂い、何か得体の知れないものが這い回る気配・・・・。一生、記憶に残るほど怖かったかもしれない。

 先月、この近くを通ったら、重機が古墳を壊しているのを目撃した。車を止めて、「更地にするつもりか」と怒りを隠しながら聞いたら、現地にいた中年の男性が、「とんでもない。3・11の地震で壁の石版が倒れたので、元に戻す工事をやっているのだ」と返答があった。今日、見たら、すっかり補修は終わったようで、「真新しい古墳」ができていた。大師像も安心した様子で元の通り鎮座していた。
これまでも、いつでも花や線香が供えてあったし、今回もちゃんと修復工事がなされるなど、現在でも、地元には信仰が生きているのを知って嬉しかった。



2018年1月7日日曜日

海の恵み


 明日から寒波がやって来て冷え込むらしい。だからというわけでは無いが、今日は、西へ東へと薪集めに奔走した。おかげで、皆さんから戴いた量で、無事今年の冬を越すことができそうだ。

 友人のY氏の所に薪を取りに行った際に、彼の自宅に寄ったら庭先で塩を作っていた。話には聞いていたが、実際に海水を煮詰めて塩を作るのを見るのは初めてである。彼は、毎年自宅で使う塩は自給している。今年はこれで3回目だそうだ。昔は、九十九里沿岸のいたる所で作っていて、ところどころに釜の字が付く地名があるのはその名残だそうだ。この直煮製塩法は最も古い製塩方法で、縄文・弥生時代の頃から行われていた。各地の遺跡で製塩土器が見つかっている。いかにも、古代遺跡に詳しいY氏らしい。

 煮立っている塩釜を覗くと、水分が蒸発してシャーベット状になった海水から、ボコボコと白いお饅頭のような泡が上がっている。その溶液を網のお玉で掬っては、隣に塩の山を積み上げる。出来上がったばかりの塩をひとつまみ舐めてみた。実に美味しい!舌にツンとくるような刺激が無い。マイルドで味に深みがある。わざわざ、鹿島灘から大量の海水を運んで、何日もビニールハウスの中に置いて水分を蒸発させ、硫酸化合物を除き、さらに、薪を一日中焚いて煮詰める。何と手間のかかる贅沢な塩なんだろう! 

 出来た塩をいただいてきた。小屋に戻る途中、この塩に相応しい料理は何だろうかとあれこれ考えた・・・。余計なものは一切加えないで、海の恵みをそのままいただくような料理がよさそうだ。蛤か鯛の潮汁なんてどうだろうか?


2018年1月2日火曜日

初詣


明けましておめでとうございます。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。



 毎年、初詣は山小屋の上にある龍神様と薬師堂に決めている。それらは、静かな山道を登った先にある。今ではほとんど訪れる人もいない。それでも、龍神様にはワンカップのお酒とお賽銭が供えてあって、周囲の森は綺麗に手入れされていた。まだまだ、素朴な信仰が生きているのを知って嬉しくなった。



 山道を息を切らしながら登っている間、昨夜読んだ寒山詩の一節を思い出して、何度も呪文のように繰り返し唱えて苦しさを紛らわせた。この詩の全文は下記の通り。
    ・  ・  ・  ・  ・
「歳去って愁年を換え 春来たって物色鮮やかなり
山花緑水に笑い 巖樹青煙に舞う
蜂蝶みずから云に楽しみ 禽魚更に憐れむべし
朋とし遊んで情未だ已まず 暁に徹して眠ること能わず」

念のために、久須本氏の現代語訳を下記に紹介します。暇な方はご一読ください(笑)。
まことに正月に相応しい内容だと思う。(新暦ではちょっと早すぎるか?)

「一年は過ぎ去って、心配ごとの多かった年は改まり、新しい春が訪れて、自然の景色は実に鮮やかである。山に咲く花は、緑の水に映じて微笑みかけているようだし、岩に聳え立つ樹々は、青い春霞に舞いたわむれているようである。蜂や蝶はそれぞれ楽しそうに飛びまわり、鳥や魚は誠にかわいい。これらを友として遊んでおれば、限りなく情趣がわいて、夜も眠られずに、とうとう明けがたを迎えてしまった。」
                               (座右版 寒山拾得 久須本文雄著 講談社1995 )





2017年12月19日火曜日

好きな冬がやってくる


 
 今日は気分が良い。冬を迎える準備が全て完了した。この冬に必要な薪を確保する目処がたった。今日、その半分を貰って来た。残りは、薪置き場が完成してからだ。薪が十分にあるだけで、体も心も暖かくなって豊かな気持ちになれる。これは、春になってジャガイモを植え付けただけで、食物が確保できたようで幸せな気分になれるのと同じだ。

 それに、寒さが嫌いな観葉植物も部屋に取り込んだ。小屋のテーブルは、植物たちに、すっかり占められた。しかし、これも楽しいこと。すぐ目の前で、瑞々しいオオタニワタリやガジュマロの葉をじっくりと観察できるからだ。

 早速、夕方から、薪ストーブを焚いた。時々、コチ、コトと小さく音を立てながら、静かに火が燃えている。部屋は暖かな空気で満たされた。テレビからはドイツレクイエムが流れている。その時、Oさんからクリスマス兼忘年会の誘いがあった。

いよいよ、僕の好きな冬がやってくる。


2017年12月14日木曜日

陽だまり




 最近は、庭の陽だまりでコーヒーを飲むのが日課となっている。今朝もいつものように、大きなカップに淹れたコーヒーと一冊の本を持って、庭のクヌギの根元に置いた椅子に座って、朝の静謐な時間を楽しんでいた。
 そこで、フッと、今朝の明け方、ピーのやつ、僕のベットから出て行ったきり姿が見えないことに気づいた。こんな事は、毎度のことでもあるのに少しばかり心配になる。下の道で交通事故にでもあったのではないかと。
 探してみようかと、腰を上げて振り向いたら、檜の木の下に黒い塊りがあるのを見つけた。ピーである。朝の暖かな日差しを浴びながら、気持ち良さそうに熟睡している。すっかり安心しきっている動物の姿は、見る者の心をも安らかにする。それは平穏な一日の訪れを暗示しているような姿だった。

2017年12月4日月曜日

月明かりで撮影

 


 午前4時52分。小屋の外に出たら西の空に大きな月が出ていて、集落を明るく照らしている。まだ、東の空は白んでいない。月曜日の集落は眠っている。朝霧の上に、筑波山の山並みが浮かんでいる。果たして、この月明あかりで、どんな写真が撮れるかどうか試したくなって、急いで小屋に戻りカメラを持ち出した。ピーは、僕の変な行動を不審に思ったのか、小声で鳴きながらついてくる。


2017年11月30日木曜日

朝の窓景色




 今、山小屋は、一年で最も色鮮やかな季節を迎えている。朝起きて、カーテンを開けると、真っ赤や黄色に緑の色が、一斉に目に飛び込んでくる。昨夜降った雨の雫が、斜めの光に照らされて、キラキラ輝いている。
 しかし、こんな奇跡のような朝は、一週間も続かない。もっと長い間、このままでいて欲しいという気もするが、短いがゆえに、よけいに心にしみるのかもしれない。







2017年11月25日土曜日

トンデモないものが写っていた(笑)



 
 トレイルカメラというものをご存知だろうか?主に野生動物などの生態を記録する目的で、動くものをセンサーで感知したら赤外線フラッシュを発光させて、相手に気づかれずに撮影できる自動カメラである。その使い方に習熟するために、テストとして、まずは山小屋の中に仕掛けた。僕とピーの生態を撮影しようというのだ。

 セットしてから3日経った先ほど開けてみたら、400枚以上のシャッターが切れていた。期待と不安いっぱいで、画像を確認したら、それが実に面白い。思いがけないシーンから、とてもここでは公開できないようなオゾマシイものまで写っていた。

 次のステップは、明日から小屋を留守にするので、この間のピーの行動を撮影しようと思っている。最近、置いておいた餌が直ぐに空になる。もしかすると、毎晩のように僕のいない間に、近所の猫たちを呼んで乱痴気パーティーを開いているのかもしれない。その証拠を掴むつもりだ。成功したら、またここにアップします。





2017年11月13日月曜日

八郷の古代ロードを歩いて


手前は収穫前のそば畑。一面に白い花が咲いている風景を想像してほしい。
今月25日に開催される「八郷古代散策ジオハイキング」の下見に、市の文化振興課の職員と柿岡から佐久、長堀地区を歩いて来た。この一帯には、丸山古墳をはじめ古墳時代初期の古墳が約四十基も集中して分布している。このようなところは、他に県北に一箇所あるだけで、八郷は茨城県でもかなり早くから文化が根付いたところの一つである。
いずれの古墳も、眼下に恋瀬川やその支流、谷津をのぞむ台地の上にある。稲作に適した平地、豊かな水のめぐみ、北西の冷たい風を遮る山々の連なり、木材や肥料、燃料を提供する森林、いたる所で採取できる粘土や岩石、砂鉄。さらに、眼を上れば、正面には神々しい筑波山の姿・・・。きっと、霞ヶ浦から恋瀬川を溯ってきた古代人は、このような物質的にも精神的にも恵まれた土地と出会って、心から感動したのに違いない。今回のハイキングでは、参加者にこの古代人の感動が少しでも伝わればと思っている。

 小春日和の空の下、下見のコースを歩いて、改めて我が八郷の素晴らしさを味わった。




 

2017年9月19日火曜日

八郷の美しい山道



 
 台風も去ったので、久しぶりに筑波山を歩いてきた。コースは、つつじヶ丘から広根場林道を歩いて、真壁のキャンプ場に出て、再び防火帯を登って女体山頂に立ち、帰りはロープウエイで戻るというものだった。
 この広根場林道は、国有林の中を通るよく整備された平坦な山道で、いつ行っても静かな山歩きが楽しめる。それに道の両側には、様々な季節の草花が咲いていて、僕は、八郷で一番美しい道だろうと密かに思っている。
 今日も期待を裏切らなかった。真っ白な穂のような花のサラシナショウマの群落や可愛く繊細な花のマツカゼソウ、まだタマアジサイの花も残っていた。ツリフネソウの赤紫の花がよく目立つ。でも、最も心を躍らせたのは、写真のアケボノソウである。この花は、ちょっと変わっていて花弁に紫の点と緑色の蜜腺がある。名前は、この点々を明け方の星座に見立てて付けたそうだ。小さな虫たちが、蜜を求めて集まっていた。

 これから、紅葉・黄葉の季節を迎えて、八郷側の筑波山はますます美しくなる。下界の煩わしさを忘れて、口笛を吹きながら散歩するには最適なコースである。ぜひ、この八郷の美しい山道を歩いていただきたい。(真壁のキャンプ場に車を置いて、今回とは逆回り<時計回り>に歩けば、ほとんど登りが無い。)


2017年8月27日日曜日

ヒグラシの鳴く頃



 午後4時20分。初秋の陽が西に傾き、斜めの光が木々を照らしている。涼しい風が、開け放した南の窓から入って、北側の窓へと通り過ぎてゆく。ヒグラシが鳴き出した。少し部屋が暗くなってきたようだ。でも、もうしばらく、このまま電灯を点けずにおこう。長椅子に深々と腰掛けて、コーヒーを飲みながらスローな音楽を聴いている。ピーは、ずうっと窓辺で昼寝している。僕はこの時間が好きだ。(人生も、この頃が最も心地良いかも。)


2017年7月11日火曜日

帰りに迷いこんで


 
 
 外国旅行の写真ではない。たった二十年ほど前、この辺は原野と林が広がっていて、僕が休日のたびに、双眼鏡を持って野鳥を追いかけていたところだ。今日、自宅の帰りに思い立って寄り道した。そして、その変わり様にまったく驚いた。当時の面影はどこにも無く、もう、異次元の世界である。隣の大型書店のガラスドアを開けると、思わず息を飲んだ。ずっと奥まで続くフロワーには、色鮮やかな本や文具、生活雑貨が無数に並んでいる。所々にあるテーブルと椅子には、着飾った若くて綺麗な女性や可愛い子供たちが座って、何か色のついたものを飲んでいる。僕は、異邦人のようである。こんな場面に出会うと、いつも頭を過ぎるフレーズがある。「これが、多くの人が大好きな大量消費生活、それに支えられた資本主義経済というやつか!」と。

 自分の姿は、ヨレヨレのシャツに薄汚れたジーパン姿のいつもの八郷スタイルである(笑)。親切そうな女店員の目が、「ここは、あなたのような方の来るところではありません」と言っているようで落ち着かない。早々に立ち去ることにした。やっぱり、早く八郷の山小屋に戻ろう!植物やピーと友人たちが待っている。
 僕にとって、本当に「豊かな生活」を送れる場所は、ここではないとハッキリと再認識した帰り道であった。