2019年8月30日

桜川の源流ー鏡ヶ池



写真は桜川の源といわれる「鏡ヶ池」である。この鏡ヶ池から流れ出た水は、筑西市をかすめ、桜川市を縦断してつくば市、土浦市を経て、霞ヶ浦に注ぐ。
 桜川は、延長が約63kmと短いが、多くの物語に富んでいる。この鏡ヶ池の名前からして日本武尊がこの水面を鏡がわりに姿を映したことから名付けられたと伝えられている。また花園天皇の代に「みせみせぬ鏡ヶ池におしとりはみつから顔をならべぞいる」と歌われている。いかなる日照りが続いても水が涸れることがないそうだ。
 ここから、少し下ったところに桜川磯部稲村神社がある。昔訪れた時に、境内に桜川を詠った紀貫之の歌碑があるのを見つけて驚いた。まさか、紀貫之がこの地まで来たとは思えないが、桜川の評判は都まで届いていた証である。
 また、桜川は、世阿弥元清がこの地を舞台にして謡曲『桜川』を作ったことでも有名である。あらすじは下記のURLを見ていただくとして、母と子の別離、川面を流れる桜の花びらをすくいながら踊る狂女、そして二人の再会・・・。その哀しくも美しい幽玄的なイメージを抱いて、現地を訪れるとちょっとガッカリするかも知れない。が、話は室町時代以前のことだから仕方がない(笑)。
 桜川は「短い」と書いたが、こんな調子で書いていたら、まだまだ続く。今回はこの辺で止めにする。
それにしても、鏡ヶ池には河骨が群生していた。珍しい!

2019年8月29日

楞厳寺を訪ねて



 近くに来たついでに、笠間片庭の楞厳寺(臨済宗妙心寺派)に寄った。ここは何年か前にヒメハルゼミの合唱を聞きにきた事がある。その際に、ヒメハルゼミの他に、木造千手観音立像(1252年作、国指定重要文化財)の優美で威厳のある姿と、その前に広がる苔の美しさに深く感動した事を覚えている。
 あの時は、特別に住職に収納庫の扉を開けていただき仏像を拝んだのだが、今回は思いついて寄ったので、苔を観るだけで我慢した。期待した通り、苔の庭は今も変わらずに美しく、辺りには深閑とした禅寺の雰囲気が漂っていた。
(写真正面の白い建物が、仏像の収納庫です)

2019年8月24日

加賀田を彷徨って



 難台山の北斜面、笠間の加賀田を走っていて、森と谷津田の奥の奥、この先、本当に道はあるのだろうかと思うようなところで、「ギャラリーGALA」と出会った。
 「GALA」は実に不思議な空間である。いくつもの部屋が、迷路なように繋がっていて、それぞれに陶器や版画、アクセサリー、アジアの民俗工芸品や織物、衣類、その他が展示されている。その一つひとつが優れたものばかりである(しかも驚くほど廉価だ)。聞いたら、長い間、東京と笠間でギャラリーを開いていた御夫妻が世界中から集めたものだという。更に、驚いたのは、25年の歳月をかけて、この広大な建物と空間をご主人が一人で築いたという。
 遠くに佐白山が望める苔庭のデッキで、笠間や八郷のこと、共通の知人について、互いのライフスタイルなどを、夕方になるまで楽しく話し合った。
 今、こうして思い出しても、場所や展示されている作品といい、そして会話の内容といい、どういう訳か現実感が希薄だ。いつの間にか、未知の不思議な空間に迷い込んでしまったような感覚・・・。この感覚が、僕はたまらなく好きだ。
これだから、知らない場所をウロウロと彷徨うのはやめられない。いつでも、どこでも発見がある。何と出会うかわからない。

2019年8月21日

タバコの葉




 今頃の季節、盆地のあちこちで黄色く色付いている畑を見かける。タバコである。山の濃い緑と黄色いタバコ畑の対比が美しい風景を作っている。
 八郷は、昔からタバコ栽培が盛んな土地だ。何しろ、秋には「たばこ祭り」があるくらいだ。今でも乾燥小屋(ベーハ小屋)がいくつも残っている。この写真をよく見ると、葉っぱを大きく育てる為に花や脇芽が切り取られている。収穫が始まっているのだろうか、すでに茎の下の方の葉は摘み取られている。
 僕はタバコを吸わないが、愛煙家はタバコを自分で栽培して、葉巻でも作って見ようと思うかもしれないが、栽培は自由でも「たばこ製造」は法律で禁止されているからご注意を!(笑)

2019年8月15日

御霊踊りを見に行ったが・・・



  毎年8月15日に行われる真家の「みたま踊り」を見ようと、流山の自宅から、急いで八郷に戻ったが、遅かったのか明圓寺も福寿院も静まり返っていた。本堂の玄関に寝ていたネコに、「おまえ、何しに来たのか」と睨まれた。
 この「みたま踊り」は、平安時代の末期に、真家の不動尊福寿院の僧侶が御霊への供養のために、住民に念仏踊りを教えたのが始まりだと伝えられている。明圓寺を出た一行は福寿院までの間、その年の新仏の家々を回っては、念仏歌をうたい「みたま踊り」を踊って死者を慰める。お囃子のリズムもそうだが、衣装も独特だ。お揃いの浴衣にタスキをかけ、花笠をかぶり、白足袋、白手甲をつける。花笠には、「オゴマ」と言われるヒラヒラの房飾りを垂らして顔を隠す。これは仏の姿を表すといわれる。これは死装束だ!昔は、夜を徹して踊られたそうだ。
 山々に挟まれた真家の里、その暗くて細い道をユラユラと踊りながら進む「死者」の行列。何と幻想的な光景なのだろう! ふと気がついたら、亡くなったはずのお隣の娘さんが混じっていたりして(勝手な想像です)。
・県指定無形民俗文化財、国指定無形民俗文化財

2019年8月12日

怪しいジジイが覗いている!



小屋の窓から、変なジジイが覗いているのでギョとした。ガラスに写った自分の姿だった。
僕は、こんな老人ではなかったはずだ。もっと、若くて活力に溢れているはずだ。もっとカッコいいはずだ。
夜の暗闇とガラスは嘘をつく!

2019年8月8日

オニバスが生えていた



 一見して、これが何だかわかった人は、かなりの「植物通」だ(笑)。
 埼玉県の北端、北川辺地区を走っていて、「埼玉県で唯一のオニバス(鬼蓮)自生地」の看板を見かけた。現地に行ってみると、鋭い棘のついたシワクチャの丸い葉が池を覆っていた。午前中には咲いていたのだろうか、萎んだ赤紫の花もあった。
 オニバスは、今では珍しい植物(絶滅危惧種)であるが、かつては南日本のどこにでも生えていた。ここ北川辺周辺(加須市)は、利根川と渡良瀬川の合流地点で、河川の氾濫も度々起こり、昔は小さな湖沼や湿地もたくさんあった。オニバスは、こういうところが大好きなのだ。
 「ハス」と名前が付いていても、レンコンは採れないし花もたいして綺麗ではない。それに、鋭いトゲもあって、農民からは嫌われていたのに違いない。しかし、葉っぱを、よく眺めて見るとなかなか造形的だ。いつか、池の側にじっくり座って、折り畳まれた葉がゆっくりと広がる様子を観察したい。

2019年8月5日

子安神社



先日、胎安神社の参道をアップしたのだから、そこから200mほどの東隣にある子安神社にも行かなければと思い訪れた。1055年、奥州征伐に向かう源頼義、義家(八幡太郎)親子も、都に残る内室のために、両方の神社に安産祈願している。同じような祈願所が同じような場所に二つあるのも妙なので、境内にいた氏子のおじさんに聞いたら、胎安神社は、子授けと胎内の子供の安全を、そして子安神社は出産とその後の子供の健康な成長を祈願する神社だそうだ。何か背景があるのだろうか。江戸時代以降は、近所の女性達による「子安講」の拠点にもなっていた。
 僕は、これらのご利益とまったく無関係なので、もっぱら境内の樹木を見て回った。参道は見事なケヤキとヤブツバキの古木が並木になっている。社殿をスギとヒノキの巨木が囲んでいる。これらが社の周りに神聖な雰囲気を漂わせている。おじさんは、雷が落ちてご神木のヒノキが枯れてしまったと残念がっていた。最近、このような「神社らしい神社」が少なくなっている。貴重な存在である。
 帰ろうとしたら、西日が境内の苔の上に木漏れ日を落としていた。

2019年8月1日

胎安神社の参道



胎安神社の参道。この反対側で道は消えている。その先は、天の川沿いの田んぼ。きっと、この道は古い記憶を秘めているのに違いない。
写真の奥、鳥居の中に女性が一人写っているのがわかるだろうか? 昨日の大宝神社もそうだが、若い女性が一人でお参りするのを度々見かける。どこか神秘的な雰囲気を身に纏っていて、カメラを向けることはもちろん直視することも躊躇われることがある。